当社の祭礼行事を中心に日々の出来事などをブログ風にお伝えします。
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6月30日(金)午後6時、夏越大祓式を執行いたしました。年明けから半年間の間に私たちが知らず知らずの内に犯した罪や穢れを祓い清めて清々しい心身に立ち返り、残る半年間を安寧にお過ごし頂けますよう大祓詞を奏上して祈念致しました。
拾遺和歌集
水無月の夏越の祓いする人は千歳の命のぶといふなり 詠み人知らず
後拾遺和歌集
おもふこと水無月ねとて麻の葉を切りにきりても祓へつるかな 和泉式部
6月29日(木)神社庁の定例協議員会がセントパレス倉吉に於いて開催されました。神社庁長・同副庁長・役員・協議員など40名程が出席して向こう1年間の運営方針などについて協議する最重要の会議です。上程された15の日程の中、報告や確認事項のほか10の議案を審議して承認可決されました。
約2時間を超える会議が終了すると隣室で夕食を兼ねた懇親会が開催され和やかに歓談致しました。
この度、神宮祭主 池田厚子様の御辞任により勅旨を奉じて天皇陛下第一皇女子 黒田清子様を新たな神宮祭主として奉戴申し上げるとのご通知を神宮大宮司様より頂戴致しました。これにより私たちも陛下の思し召しに応えるべく一層、神宮奉賛に努めてまいる所存です。
神宮規則では「祭主は、皇族又は皇族であった者とし、勅旨を奉じて定める」とされています。
6月23日(金)彰徳殿の例祭を斎行致しましたが祭典開始時刻の午後2時になっても遺族のお姿は在りません。昨年、一昨年と1名のみの参列でしたので覚悟はしていましたが恐れていた事が現実になりました。3年前までは其れでも4~5名の参列が在ったのですがその方々は介護施設入られたり、自宅に在っても身体が不自由になられたりで直近の遺族の高齢化はさらに進み限界に来ているという現実です。ご祭神の孫の世代の方で事前にお神樂料をお持ちになる方もありますが祭礼日が平日ですとお勤めを優先されるのも致し方ありませんが、お国の為に一命を捧げられたご英霊に対し慰霊と感謝の誠を捧げる事は絶対に忘れてはなりません。今後は孫世代の方々が参列頂けるように日程の変更も視野に入れて検討する他はありません。
6月18日(日)、日供祭の神饌として大栄町産の小玉スイカを昨日購入、夏の初物としてお供え致しました。古くから、その季節に初めて収穫された「はしり」の食材を食す事は福を呼び込み長寿になるとの信仰があり初物食いと言って季節ごとに収穫された野菜果物・穀物・魚介の類などを好んで食しておりました。現在は栽培・漁獲・保存など技術の飛躍的な進歩と外国産の流入などにより季節感が失われた事は否めませんが氏子崇敬者の開運招福と延命長寿を祈念してお供えさせて頂きました。
緑が深くなるこの時期は神事に使う榊も古い葉が落ちて若葉と入れ替わります。そうした榊枝を玉串にすると瞬く間に若葉がしおれてしまい神様にお供えするにも気が引ける感が致します。御祈願者の方などにお渡しする時も同様で、しおれた玉串を神様にお供えして、お願い事を本当にお聞き入れ下さるのかと不安を煽るような事も憚られますので当社は御幣型の玉串を代用しています。こちらの方が榊の玉串より豪華で良いとのお声も頂いています。
6月1日(木)午前7時、月次祭を斎行して皇室のご安泰、国家国民の繁栄と氏子崇敬者の安寧な暮らしを祈願致しました。今日から衣更えで紗や絽で仕立てた狩衣・差袴を9月末日まで着用致します。近年は5月でも中旬を過ぎると真夏日の日が数日有りますので少し早めの衣更えも良いのかも知れません。
立夏から夏装束・立冬から冬装束を着用する神社も多数あります。
昨日の雷雨により久しぶりのまとまった降水で境内の樹木も緑が深く成りました。先月24・25日には草刈り作業も済ませて頂きましたので暫くはスッキリとした境内で清浄を保てそうです。
5月26日(金)管内神職とその家族を参加対象とした出雲方面の神社参拝研修を行いました。午前7時に日南町を出発し黒坂・根雨・溝口の乗車で総員17名内神職15名・家族2名が揃って先ずは旧国幣小社の佐太神社(サダジンジャ)に向かいました。出雲國風土記に「カンナビヤマの麓に座す」佐太大神社或いは佐太ノ御子社と見える古社で、昨年9月に修繕正遷宮を終えた豪壮な大社造りの社殿が三殿並び佐太大神ほか12柱の神々がお祭りされています。
佐太神社の自由参拝を終えると出雲大社に程近い万九千神社(マンクセンジンジャ)に向かいました。この神社は神有月(旧暦10月)に全国から来訪された神々が最後に滞在され神議と直会(宴)をしてからご帰還になるとの由緒により諸願成就の社として崇敬を集めています。境内には立虫神社(タチムシジンジャ)も鎮座されています。一同で正式参拝をして宮司のお話も樂しく伺いました。
御祭神 櫛御気奴命・大穴牟遅命
少彦名命・八百萬神
立虫神社御祭神 五十猛命外2神
最後の神社参拝は菅原道真公の誕生の地と伝わる菅原天満宮で正式参拝と悪斬りの祈祷をお願い致しました。この祈祷は佐陀神能と称される神事舞の一節で神職が剣を振るって破邪の祈祷をする厳かで奮い立つような舞でした。
ご神詠 海ならずたたえる水の底までも清き心は月ぞ照さん
昼食を近くの「いろり茶屋」でとり、最後の目的地「大しめなわ創作館」に向かいました。この地域(島根県飯石郡飯南町)は昭和30年頃から出雲大社に注連縄の奉納を続け同社の神楽殿に掲げられる日本一の大注連縄も奉納されています。稲作地域の我が日野支部管内でも氏子による祭礼毎の注連縄の作成が儘ならぬ事もあり皆熱心に見学し質問を係員の方に投げかけていました。帰路の途中、お土産なども買い求め午後5時30分には日南町に帰着致しました。
5月25日(木)野田山の山中(標高約550m)に鎮座する野田山神社の山神祭を斎行致しました。好天となり施主(株)秋田木材社長ほか9名が参列して厳かにお仕えする事が出来ました。
祭典後、社長が参列者にお神酒を勧めお祭りを祝います。その後、境内にご座を敷いて野鳥の囀りを聞きながら直会を樂しみました。
5月20日(土)日野仏教会主催の法要に神社庁日野支部長としてお招きを受け参列致しました。昨年までは日野町山村開発センターが会場でしたが今年から日野町根雨の延暦寺で執行される事となりました。
曹洞宗の延暦寺は京の都を懐かしんだ長谷部信連公によって開基され宝仏山の御堂に安置されていた阿弥陀如来像を持ち来て本尊としたと伝わっています。
法要は日野仏教会会長の浄香寺住職が導師を勤められ20数名の日野郡内(旧溝口町含む)の僧侶によって営まれました。参列者は遺族会役員や関係者、遺族、来賓を含めても40名に満たないようでした。遺族の高齢化は年々進んでいます。本堂内は慰霊のお香が立ち込め厳粛な法要でした。 合掌
5月14日(日)西部青年神職会が主催する「みそぎ」の研修会に道彦として指導をする為、日野町の瀧山神社に参向致しました。今年は初めて5月の開催となり快晴の天候の中、清々しく行法の指導が出来ました。
御祭神 三保津姫命・大日孁貴命・誉田命
大山祇命・猿田彦命
用語解説 道彦(みちひこ)は禊行法の指導者の事
拝殿に於いて開講式・神拝行事・行法演習の後、脱衣、境内の龍王瀧の御前にて行法を致します。西部青年神職会長ほか4名の会員と一般参加者2名と共に鳥船(とりふね)・雄健(おたけび)雄詰(おころび)氣吹(いぶき)の行を力強く行って邪気を祓い気力を奮い立たせます。
用語解説 龍王瀧(りゅうおうだき)は小泉八雲の小説「骨董」に登場する神秘の瀧
御瀧の中では大祓詞を奏上の後、各自が瀧壺に進み霊水の飛沫を浴びながら祓戸大神の御名を奉唱致します。禊を終えると同様に鳥船・雄健・雄詰・氣吹の行をして拝殿前に退下、目出度く納めと致しました。5月中旬とはいえ思いのほか水は冷たく身も心も清々しく祓い浄められた禊行と成りました。
今回も瀧山神社の総代さん方には早朝に出夫して頂き境内の清掃と焚火のお世話を頂き誠に有難うございました。
昨夜(12日)の雨に洗われて緑が一層深みを増して手水舎から土蔵の前まで新緑のゲートの様になっています。5月も中旬となり草も茂って参りました。草刈りや除草の作業を控えた初夏の境内です。
大型連休中には各地からご参拝頂き神酒のお供えをされた方が数名あったようです。その神酒が「鬼ころし」当社の由緒が周知されつつあるのかこの銘柄のお酒がよく賽銭箱の上にお供えされています。検索して調べてみましたら「鬼ころし」の銘柄は100種類以上に及び「鬼をころすほど辛い酒」という意味で辛口の日本酒の代名詞との事。一方で鬼を殺すほど粗悪で悪酔いする酒との説も有るようです。他には「人の心にひそむ鬼をころす酒」「鬼のように頑丈な男でも酔いつぶれてしまう酒」など。比較的コンビニなどで求め易い酒でもあるようですが・・・ここは当社のご祭神が鬼退治をされた由緒に鑑みてのお供えと思いたいところですね。
4月29日(土)から5月7日(日)までのゴールデンウイーク期間中は比較的好天に恵まれ開運八社巡りの方々、ご家族連れ、友人連れなど県内外から三々五々ご参拝を頂きました。その間、当社や印賀の樂樂福神社の春季大祭、福成神社の助勤などの合間を縫って御神札や御守、御朱印の授与などをさせて頂きましたが奉仕の都合上、社務所を留守にしてご不便をお掛けした方にはお詫び申し上げます。8日からは通常の奉仕に戻り境内清掃や事務仕事に従事致します。
5月5日(金)印賀の樂樂福神社の春季大祭を斎行致しました。大祭典を執行する午前10時頃から氏子の参拝がございます。宮司ほか2名の神職が助勤奉仕、総代会長ほか総代13名が参列。少子高齢化と過疎化により児童が著しく減少し平成26年の秋季大祭以降、舞姫の手配が叶わなくなり、子供を連れた参拝も減少し今後の維持存続に暗い影を落としています。今年も石見神社宮司に朝日舞を奉納して頂き祭りの賑わいと致しました。3月18日から5月5日に及ぶ春祭の奉仕もようやくその幕を閉じる事となりました。日野の神々の春祭り
4月30日(日)午後6時45分、宵宮祭を斎行致しました。祭礼準備の都合で45分も時間がずれ込んでしまいましたが明日の春季大祭(例祭)の全ての祭事を恙なくお仕え出来るよう祈念致しました。このお祭りには明日の大祭典に奉仕する神職方にお土産としてお渡しするロールケーキを神饌の1品としてお供えしています。
明くる5月1日(月)午後1時より春季大祭(例祭)を斎行して皇室のご安泰と国家隆昌、五穀豊穣と諸産業の発展・氏子崇敬者の安寧な暮らし等を祈念申し上げました。当社の例祭は宮司ほか4名の祭員、2名の樂員が奉仕、責任役員、氏子総代らが参列する中、神社本庁献幣使(神社庁理事・高圀神社宮司)が随員を従えて参向する日野支部管内随一の大祭典です。大祭典後、御神輿をトラック荷台にお載せして氏子内の巡行も致します。
4月29日(土)の日供祭に併せて「昭和の日」武蔵野御陵を本殿を通して遥拝し昭和天皇のご聖徳を遙かにお偲び申し上げました。
昭和天皇御製「天地の神にぞ祈るあさなぎの海の如くに波立たぬ世を」祭典を終えると朝食もソコソコに当社の宮掃除と祭礼幟立て作業に出夫して頂く宮内地区の氏子さん方がお出でになるのでその下準備をして作業にも立ち会い午前11時に福成神社の助勤奉仕に出発致しました。
4月29日(土)福成神社の春季大祭の助勤奉仕に伺いました。宮司のほか4名の神職が助勤奉仕3名の舞姫が浦安の舞を奉納、総代会長以下10名程の総代が参列して厳粛に斎行されました。祭典後には子供神輿も巡行して賑わいを添えました。
4月28日(金)菅澤神社の春季大祭を斎行致しました。役員改選により新たに就任された総代会長ほか4人の総代が参列して厳粛にお仕え致しました。終了後、ご依頼された祈願祭4座を奉仕。氏子の方々も三々五々お参り頂き総代さん方には直会のお料理やお神酒を頂きながら午後3時までお務め頂きました。また2名の氏子の方から9寸三方を1台ずつ計2台ご奉納頂きましたので早速、大祭神饌の白米・玄米をその三方でお供え致しました。
4月25日(日)多里神社の春季大祭を斎行致しました。やや曇りがちな天候でしたが気温は暖かい日となりました。宮司ほか2名の助勤神職をお願いして厳粛に斎行し、今年も石見神社の宮司に朝日舞を奉納して頂き五穀豊穣と諸産業の発展、氏子の安寧な暮らしを祈念致しました。朝鮮半島有事を懸念されて外出を控えられた訳でもないでしょうが参拝者は例年と比べて少なめでした。
4月23日(日)江府町の美用神社の春季大祭を代行奉仕致しました。雲一つない快晴となり総代会長ほか総代・区長など11名が参列して厳粛に斎行致しました。この度の大雪で僅かに破損した本殿屋根を祭典準備をしながら皆で再確認をして頂き、後日修繕する事となりました。この神社の関係者の方々は維持管理に理解があり協力を惜しむ事をなさいません。誠に有難く存じます。
4月20日(木)鳥取市に鎮座する鳥取県護國神社の春季大祭の助勤奉仕に伺いました。社務所を出発する前に本社の日供神饌をお供え、祭典奉仕はお許し願って午前6時に護國神社に向かい午前9時の集合に間に合わせます。午前10時に参進、好天の中、宮司・禰宜・権禰宜ほか祭員(県内7支部の支部長)献幣使・同随員・舞姫(地元高校生4名)樂員、詩吟奉納者(3名)など大祭典としては県内最多の奉仕者がお仕えし県遺族会長・県知事(代理)県議会議長、国会議員(代理)遺族など関係者が参列して厳粛に斎行されました。
ご祭神 戊辰戦争から大東亜戦争までの英霊23.478柱
4月18日(火)大石見神社の春季大祭(併せて敬老祭)の助勤奉仕に伺いました。昨日来の風雨も朝方には収まり安堵の大祭となりました。宮司ほか4名の神職が助勤、総代会の副会長以下役員総代・敬老祭対象者などが参列、江美神社の禰宜による剣の舞が3年ぶりに奉納され厳粛に斎行されました。
4月16日(日)福榮神社の春季大祭を斎行致しました。快晴の好天と成り氏子はもとより開運八社巡りのご参拝も有りました。宮司ほか3名の助勤神職が奉仕、総代会長ほか10数名の総代、来賓が参列致しました。石見神社の宮司には今年も朝日舞を奉納して頂き、厳かな祭典となりました。大祭典後、直ちに神幸式も挙行して恒例の壱ノ石鳥居左側の御旅所まで神輿が巡幸し神事(御旅所祭)をお仕え致しました。
4月15日(土)根雨神社の春季大祭の助勤奉仕に伺いました。昨夜の雨が残っていましたが祭典が始まる午前10時頃には次第に回復して晴れ間も覗きました。宮司ほか助勤神職2名が奉仕、役員3名が参列して厳粛に斎行されました。宮司が自ら朝日舞を奉納して祭典に色を添えました。
4月8日(土)熊野神社の春季大祭を斎行致しました。3月は寒い日が多く雪解けも進みませんでしたが今月に入り日増しに暖かくなり今日は汗ばむほどに気温が上がりました。境内の一部には雪が残り本殿周囲の雪囲いもそのままですが春の訪れを確信させる春季大祭となりました。
4月9日(日)江府町の御机神社の春季大祭を代行奉仕致しました。昨日の暖かさは嘘のように肌寒い日になりました。熊野神社が鎮座する阿毘縁地区とほぼ同じ標高(約600m~800m)ですが境内の残雪はわずかでした。田畑の雪もようやく消えて間もなく農作業の繁忙期に入ります。
4月10日(月)島根県奥出雲町の鬼神神社の春季大祭を斎行致しました。週はじめの月曜日曇り空の1日でしたが三々五々ご参拝を頂きました。昨年は咲いていた山桜も今年は蕾のままです。
4月11日(火)江府町の吉原三社(吉原神社・西成神社・袋原神社)の春季大祭を代行奉仕致しました。今年の大雪の影響で袋原神社境内の桜の開花が遅れ、平成21年春から続く代行奉仕の中でも初めて境内に咲き誇る桜花の中での大祭となりました。
4月2日(日)秋原荒神祭を斎行致しました。菅澤神社に合祀された荒神様は7戸の氏子によって維持されています。今年も100本を少し上回る荒神幣を神饌と共に本殿内にお供え致しました。このお祭りにお供えする玉串は樅の枝を使用する事となっていますが理由は分かっていません。
祭典が終了するとお供えしたお神酒と折詰料理を頂きながら直会です。話題は大相撲、横綱稀勢の里の優勝‼この喜びを口々に語り合いました。古来からの神事でもある相撲で稀勢の里の連続優勝は本年を占う吉兆と成りましょう。
4月1日(土)午前7時、月次祭を斎行して皇室のご安泰、国家国民の繁栄と氏子崇敬者の安寧を祈念、併せて「樂樂福神社御神樂神札」200体の遷霊祭を執行致しました。今月は兼務社の春季大祭が5社・代行奉仕の社が5社有りますので万端な準備を心掛けております。
ここ数年、新年度のはじまりの日が好天に恵まれておりません。昨日の雪まじりの雨の影響が残り、すっきりとしない朝となりましたが徐々に好天に移るとの予報です。今日から新しい環境で人生の節目を迎えられた方々に樂樂福神社の神々のご加護がございます様、ご祈念申し上げます。