当社の祭礼行事を中心に日々の出来事などをブログ風にお伝えします。
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3月24日(金)鳥取市の「さざんか会館」で表記の会合が開催されましたので出席致しました。管内神職8名と総代2名が3台の車に分乗して現地に集合、開会儀礼の後、神道政治連盟会長が「憲法問題を考える」と題して講演、続く研究討議では講演をふまえて鳥取県神社総代会長が「神社界の使命」として提言を述べ神社庁副町長・県神政連幹事長・神社庁教化部長がパネリストとして意見を述べました。憲法を改正するか否かの最終判断は国民に委ねられていますので国会での議論と同時に、私たちも憲法改正について一人一人がよくよく考え、国民的な議論を一層深める事が肝要です。
3月24日(金)の日供祭にようやく蕗の薹をお供え出来ました。昨年より12日、一昨年より17日の遅れです。境内には雪が残る箇所も多く例年よりは肌寒い日々が続いている為でしょう。春の皿には苦みを盛れの伝え通りフキノトウ味噌にしたり天ぷらや薬味としても食したいと思います。
3月20日(月)春分の日に我が家の祖霊祭を斎行して木山代宮家一門の繁栄と安寧を祈念致しました。宮中では春季皇霊祭を今上陛下がお仕えされ皇霊殿に奉斎された御歴代の天皇と皇族方の御霊をご親祭なさいます。
午前中には御霊舎のお祭りを終えて午後からは1件の神徒のお宅で祖霊祭を奉仕して後ち、家族で木山代宮家の奥津城に墓参し簡略な祭詞を奏上して墓前祭と致します。
3月19日(日)高代部落祭を奉仕致しました。春の到来に当たり24戸の集落が挙って荒神・山神・愛宕新・地神の4神を祀り1年間の地域の安寧と豊作等を祈りました。
公民館での神事に引き続き現地に出向いて神々を巡拝し鄭重に祈念致します。
写真は小高い山に鎮座する山神と愛宕神の社
巡拝を終えて公民館に帰着する頃には直会の準備も整い挨拶も手短に乾杯です。オードブルに添えてご婦人方の手料理も賑やかに宴を彩りました。
3月18日(土)島根県奥出雲町の大呂神社の春季大祭を斎行して五穀豊穣・諸産業の発展と氏子地域の1年間の安寧を祈念致しました。天気予報では暖かい日和となる予報でしたが、やや肌寒い中での祭典となりました。副会長ほか5名の総代と宮差配3名の参列です。春季大祭といっても日南町とは異なり一般氏子の参拝は無く粛々と祭典を執行するのみの何とも慎ましい祭礼です。
東日本大震災より早6年となる3月11日(土)日供祭に引き続き大祓詞を奏上して大震災以降度重なる天災や昨年の熊本地震などで犠牲になられた方々も併せて追悼し被災地の早期の復興と被災された全ての方々の安寧を祈念致しました。
地震発生 平成23年3月11日午後2時46分
3月10日(金)午前7時、去る6日にベトナム・タイ両国のご訪問からご帰国になった両陛下の還幸啓奉告祭を斎行致しました。神社本庁の通達では中祭式で執行との事でしたが当社には戦前から中祭式の制はなく祭祀は大祭と小祭となっており慣例に従って小祭式でお仕え致しました。
神社庁日野支部と日野郡神社総代会は3月5日(日)から3月7日(火)にかけて恒例の伊勢神宮参拝旅行に行って参りました。伊勢に到着した最初の日程は外宮での御神樂奉納と御垣内参拝です。(総勢114名 バス4台)
外宮参拝を済ませますとこれも恒例の二見興玉神社の自由参拝です。
ご祭神 猿田彦大神・宇迦御魂大神
綿津見大神
午後5時30分頃には昨年耐震補強と改装を終えたばかりの定宿の鳥羽シーサイドホテルに到着、執行部が打合せをする中、皆さんは急ぎ入浴を済ませて午後7時からの宴会に備えます。沢山のお料理とカラオケ大会で賑やかな一夜を過ごして頂きました。
日程の2日目は内宮での御垣内参拝です。生憎の雨模様でしたが参加者は揃って玉垣御門内に参入、私(支部長)と日野郡総代会長の先導により恭しく拝礼をさせて頂きました。参拝後は、おはらい町とおかげ横丁に繰り出します。
関ドライブインで昼食を済ませ鈴鹿市の椿大神社(つばきおおかみやしろ)に正式参拝をさせて頂きました。宮司以下職員の皆様に身に余る鄭重なおもてなしを頂き一同、恐縮と感謝の様子でした。
伊勢国一之宮、猿田彦大神大本宮
ご祭神 猿田彦大神
瓊々杵尊・栲幡千々姫命ほか3神
続いて愛知県の常滑市の「めんたいパークとこなめ」を見学です。とても美味しそうなので神饌用と自宅用(切れ子)を購入致しました。
皆さん辛子明太子などを沢山購入された後は愛知県蒲郡市の竹島八百富神社(たけしまやおとみじんじゃ)に自由参拝を致しました。この神社は市杵島姫命を祀り開運・安産・縁結びの神として竹島全体が神社を構成し江の島・竹生島・厳島などと共に日本7弁天と称されます。
2日目のお宿は八百富神社にほど近い三谷温泉ホテル明山荘です。今夜も午後7時には開宴ですがその前に恒例の多数回参加者の表彰式を挙行して20回、17回、13回、10回、5回を参加された方々を表彰してからの開宴です。今年も早速、伯耆町の女性グループによる余興やカラオケの熱唱を楽しませて頂きました。
鳥取県の定番、傘踊りは絶対にはずせません。今宵もご馳走と歌に踊りに賑わいは続きます。
明けて最終日は島根県の一畑薬師が本山の愛知県岡崎市の一畑山薬師寺の拝観です。厄除け・交通安全・眼病平癒などにご利益がある祈祷の寺と言われています。
臨済宗妙心寺派
続いてもう1ケ寺、松平家・徳川将軍家菩提寺の成道山松安院大樹寺の拝観を致しました。この寺には徳川歴代将軍(但、15代慶喜公を除く)等身大の位牌が安置されている事でも知られいてる。
2ケ寺の拝観後は八丁味噌の郷に立寄り見学致しました。仕込みから出荷まで約2年を要す八丁味噌
今回の大とりは熱田神宮の自由参拝です。平成24年の参拝以来5年ぶりになりますが船通山の神域宣揚祭にも深いご縁を頂く熱田様に胸を熱くし乍ら参拝させて頂きました。名残を惜しみつつ午後2時頃には帰路につきました。
ご祭神の熱田大神は草薙の剣を御霊代として寄せられる天照大神の御事をさす。
3月3日(金)神社庁の神殿祭に参列致しました。このお祭りは一般神社の例祭に相当する大切な祭祀で神社庁役員・支部長・協議員などの神職、県総代会長及び同役員・被表彰者など40名程が参列し、斎主を神社庁長・副斎主を同主事、以下祭員を女子神職1名・青年神職2名によって厳粛にお仕えされました。
祭典に引き続き恒例の神社庁長表彰の表彰式が挙行され神社の維持運営などに永年に亘って功績のあった神職1名・総代など11名に表彰状と記念品が授与されました。日野支部からは聖神社宮司と私の兼務社の福榮神社役員の2名がその栄に浴されました。
その後、会場をホテルニューオータニ鳥取に移して直会となりました。乾杯の後ち昨年の鳥取県中部地震で被災した中部支部の副支部長(小鴨神社宮司)と賀茂神社宮司・倭文神社宮司が登壇され被災神社に対する義捐金や支援に対し謝礼を述べられました。
3月1日(水)午前7時、月次祭を斎行して皇室のご安泰、国家国民の繁栄と氏子崇敬者の安寧と併せてベトナムとタイをご訪問の為、御渡航中の両陛下のご安泰の祈念を致しました。未だ境内には30㎝位の積雪が残りますが日差しは春の到来を感じさせてくれます。
毎年、初中旬には蕗のとうを収穫してお供えしていますが今年はどうなる事でしょうか?
午前8時前の境内です。除雪された雪がうず高く残っています。日南町内でも日当たりの良い処はドンドン雪が融けていますのに完全に境内の残雪が無くなるのは何時の事でしょうか?日照時間の短かさが恨めしい今日この頃です。
2月25日(土)境内には多くの雪が残る中、随身門に大福杉玉の奉納をして頂きました。前回、平成24年にご奉納頂いた杉玉が5年を経過しましたのでご神威の甦りを願って新しく作成して下さいました。取付け作業は奉納者ご本人(左)と総代さんの2名でして頂きました。また総代さんには杉玉を軽トラックで搬入出来るように通路を事前に重機で除雪して下さいました。
前回の杉玉よりやや大きめに作成して氏子やご参拝頂いた皆様に更に大きな福が取り込めるよう願ってのご奉納です。私は早急に木札を作成して新しい大福杉玉に取付けなければなりません。
取外した旧杉玉は拝殿の向拝正面に新たに飾らせて頂きました。神さびた拝殿に程よく溶け込みましたので喜んでいます。ご参拝の折に御覧になって下さい。
天皇皇后両陛下には2月28日~3月6日の日程でご親善の思し召しを以てベトナム社会主義共和国とプミポン前国王のご弔問にタイ王国の二カ国をご訪問遊ばされる由を承り、神社本庁の通達により当社では20日(月)午前7時、両陛下の御渡航行幸啓安泰祈願祭を斎行致しました。ご出発までやや日にちが有りますが今回は早めの執行と致しました。ご訪問の期間中には日供祭に併せて御渡航安泰の祝詞を奏し、ご帰国後には還幸啓奉告祭を執行する予定です。
鳥取県を中心に西日本を襲った大雪も一段落した13日から宮人夫さんに除雪をして頂きました。除雪は大変な重労働なので午前中4時間を目途に計3回の出社、計12時間を勤めて頂きました。13日拝殿正面から石鳥居、15日社務所周辺、16日表参道と順次進めて頂きひと通り終了致しました。拝殿正面から石鳥居までは通路が圧雪のままですので丈長の靴かブーツ、長靴などでお出で下さい。
(写真参照 2月11日 紀元祭 大雪の早朝)
2月15日(水)日野支部役員会を日野町公民館で開催致しました。来る3月5日(日)出発の第37回伊勢神宮参拝旅行(2泊3日)の最終的な打合せと調整を致しました。先月18日、今月3日と会議を重ねて参加人数の確認、車両編成と車輛長の任命等を順次進めて来ました。今日はバス4台の座席割りと乗降停車地の確認、宿泊ホテルの部屋割りを中心に参加者119名の同室希望者や夫婦部屋などの要望も踏まえて近畿日本ツーリストの担当者と万全な調整に注意を払いました。
2月11日(土)午前7時、記録的な大雪の中、紀元祭を斎行致しました。神武建国2677年を奉祝し国家の繁栄と皇室のご安泰、世界の恒久平和と氏子崇敬者の安寧などを祈念致しました。祭典後には本殿を通して橿原神宮の遥拝も致しました。建国記念の日は神武天皇が橿原の宮にてご即位された日を建国の紀元として明治6年に定められた紀元節がその発祥です。畏くも天皇陛下におかれては宮中三殿にお出ましになり臨時のご拝礼をなされます。また橿原神宮では神武創業の偉業を偲ぶ大祭がお仕えされ勅使も参向されます。
紀元祭と橿原神宮遥拝をすませ慌ただしく身支度をして午前9時から斎行される日南町統一建国祭に来賓として参列する為、生山自治会館に向かいます。日南町管内では神職・総代・町長はじめ行政関係者や各種団体の長などが一堂に会して神武天皇・町内の各神社のご祭神をお招きして建国祭をお仕えしますので総代・氏子等が参列する紀元祭を斎行する神社は有りません。
斎主 大石見神社宮司
祭員 霞神社宮司と禰宜
樂員 石見神社宮司と福成神社宮司
祭典後には奉祝式典が挙行され国歌と紀元節の歌の斉唱、敬神生活の綱領の唱和、橿原神宮遥拝など開会儀礼に続き日南町神社総代会長の挨拶、町長・県会議員・町議会議長・日野支部長が来賓祝辞を述べます。閉会後は直会をしてお神酒やお料理を頂き和やかに「建国記念の日」を皆でお祝い致しました。
2月6日(月)の日供祭の神饌に殻付き牡蠣をお供えさせて頂きました。昨年の12月に急逝された総代会長のご子息からの奉納です。先頃、49日の法要を済まされた事のご奉告としてと受け取り故人を偲びました。頂いた牡蠣は岡山県備前市日生(ひなせ)町、国立公園日生諸島で養殖された風味豊かで「海のミルク」と称される程、栄養に優れた美味しい品でした。
立春の前後、日程を選んで荒神祭の依頼がまいります。春の訪れを前に良好な天候と順調な耕作を祈ります。兼務社を含む氏子管内では過疎化と高齢化の為、いつの間にか祭祀が途絶えた荒神様が数社ございます。このまま打ち捨てる様な事は恐れ多いので今後は当社の所管社の荒神社に合祀をお勧めしようかと考えています。この事は山神様も同様で末社の木野山神社への合祀を同様に考えています。
夜啼荒神社 農耕のほか子供の夜泣き封じや子育てにご利益のある荒神様として崇敬されている。
2月3日(金)午前7時、節分祭を斎行してご祭神の鬼退治伝説にあやかり国家国民に降りかかる邪気や禍事の退散を祈念申し上げました。節分は本来、立春・立夏・立秋・立冬の前日の事ですが江戸時代以降は特に立春の前日を指すようになりました。邪気を鬼に見立てて豆を打ち撒き、季節の変わり目などに生じる疫病や災いを退け、福を招き入れる事を願う宮中行事の追儺式が民間に伝播したものです。雪深い日野支部管内で大勢の参拝者を集めて賑やかに追儺式をする神社は有りません。当社も祭典後、宮司が本殿に向かい「福は内」拝殿正面縁から「鬼は外」と三度唱え併せて豆を打ち撒いて終了となります。日が暮れると代宮家や氏子の家々で豆撒きが行われます。
2月1日(水)午前7時、月次祭を斎行して皇室のご安泰、国家国民の繁栄と氏子崇敬者の安寧を祈念致しました。写真の狩衣は伯父(奈良県 大神神社 前宮司 ・故人)からもらい受けた品(白地雲鶴紋 総裏付)で年に数回しか着用せず大切にしています。
朝8時頃の境内の様子です。先月22、23日の大雪以降、幾分目減りをしたとは言え積雪は御覧の通りです。私も55歳となり一層寒さが堪えるようになり冬用の下着を重ね着しての昇殿です。春の到来が何より待ち遠しいこの頃です。
1月27日(金)午後8時、木山代宮家の日待の夜の祭を斎行致しました。明日には旧正月を迎える前夜を選んでの執行です。日待祭は同族や同一集落等に所属する者が集まって物忌みや潔斎をして夜を明かし日の出を待って季節の変わり目に来臨する神を迎える信仰と伝わっています。翌28日(土)の日供祭終了後、午前8時には日待の朝の祭りを奉仕致します。
私が奉務する全ての神社の氏子の中では日待祭を申し込まれる事は有りませんので当家だけに遺った神事と言えます。先に日待ちは神の来臨を迎える神事と述べましたが、当家は社務所の神棚にお祀りする天照皇大御神を中心に樂樂福大明神・兼務神社の神々などを対象としてお仕えしています。天の岩戸の故事に由るかと思いますが考察の余地を残しています。
降雪が一段落した25日(水)宮人夫さんに除雪作業をして頂き石鳥居から拝殿前まで参拝者の通行が可能になりました。車参道は徒歩での通行は可能ですが車は4WD車でも困難な状況で、表参道は通行止めにしています。ひと通りの除雪が完了するのにはあと2日位かかります事をご了解下さい。
20日(金)以降、断続して降雪が続き23日(月)にピークとなりました。鳥取県内の状況はマスコミ報道の通りです。当社も本日(24日)は積雪が90cmを越えようかという勢いで雪の孤島となりました。車参道は昨日と今日の二回、除雪をして頂きましたが境内の除雪は明日以降の予定です。今後は積雪による建物の倒壊などが心配され当社の建造物も例外では有りません。只々、事無きを祈るのみです。
1月21日(土)午前10時、古神札お焚上祭を斎行致しました。昨日までにお納め頂いた古い神札や御守、正月の注連縄飾り等を分類して神札や御守の類は専用の白い箱に納めて本殿大床に供えます。注連縄、その他の物、本日お納めになった物は境内の斎庭に予め積上げます。
拝殿には総代1名と氏子3名が昇殿して今日までの神恩に感謝し、もとの御座に恙なくお還り頂くよう祈念致しました。とんど祭りは左義長とも呼称される古くからの民俗行事で正月飾りや古い神札御守などと共にお迎えした歳神様を舞上がる炎によってお見送りする神事です。
神事の後、撤下した忌火によりとんどの斎庭で今年の恵方「北北西」の方角から氏子により着火致しました。炎が燃え上がる間、豚汁やスルメ、お神酒の振舞いも樂しみました。
昨年は総代会長ほか関係者の不幸が続きましたので悲しみや心残りが多かった申年にはいち早く去って頂き、幸福を沢山とり込める良き年になるよう皆で願いました。
1月10日(火)JR西日本米子車掌区の合格祈願切符の祈願祭を執行致しました。この切符は米子車掌区管内の列車を利用する受験生やその家族等に列車内で無料で頒布されます。今年も担当者5名が参列して受験生の合格を祈願されました。この取り組みも3年目となり切符を心待ちにしている受験生も沢山いるようです。当社で祈願した約3000枚の切符が多くの受験生達の手に渡り樂樂福神社の大神様の力添えを受けて目出度く試験合格されますよう祈念致します。詳しくは乗務の車掌さんにお尋ね下さい。当社も若干数頂いて社務所で頒布しています。
頒布期間 1月14日から3月13日頃まで米子車掌区管内の伯備線・山陰本線・境線の列車内で希望者に無料頒布
今年は1日・8日(2件)・9日・14日・15日に山神祭の依頼が有り順次奉仕をしております。当地は正月9日を山の神を祀る祭日としていましたが近年は祝日や休日などに斎行されています。雪深い日南町では老齢化も手伝って山中深くに鎮座する小祠での神事は困難になり斎場を自治会館に移してお仕え致します。言い伝えでは新年から9日までは山の神が管轄されるお山の立木の本数を数えて廻られるので、9日以前に入山した人間は立木の本数に数えられてしまい山から帰れなくなると戒めています。写真は当社の境内末社の木野山神社です。近年は地域の山の神の総社として林業関係者の方々が三々五々ご参拝になります。
1月7日(土)の午前中に福榮神社と多里神社に参向して正月飾りの輪注連縄や飾りの蜜柑、神前幕等を撤収して通常の仕様に戻しました。その他の兼務社は総代会に対応して頂いています。当社は11日(水)の午前中に撤収致します。7日を松の内明けとする習慣は関東地方に多く、当地は11日をその日としています。また関西を中心に15日の小正月を松の内明けとする地域も有るようです。
元旦の午前7時には社務所を出発して福榮神社に参向し午前7時30分に歳旦祭を斎行致しました。年越しには総代会長が昇殿して開運招福破魔矢とお神酒の授与を午前2時頃までして頂きました。以降、三が日はご参拝の方々に思い思いに破魔矢を受けたりお神酒を頂いてもらいます。
福榮神社の歳旦祭を終えると直ちに多里神社に参向して午前8時30分に歳旦祭を斎行致しました。年越しには総代会長ほか役員が昇殿して午前2時頃まで開運招福破魔矢・交通安全御守・干支盃の授与をして頂きました。権禰宜も1時に社務所を出発し多里神社に向かいました。以降の三が日は福榮神社と同様に思い思いに授与品を受けたりお神酒を頂いてもらいます。
正月2日(月)には今年も奥出雲町の鳥上小学校の卒業生11名(97期)より厄除開運祈願祭の依頼を受け鬼神神社に参向致しました。鬼神神社は鳥上小学校を眼前に見下ろす高台に鎮座されていますので卒業生達には懐かしい思い出が沢山残る場所になります。母校の後輩、97期の皆様のご多幸とご活躍を祈念申し上げます。
正月4日は俗に坊主正月と称され、やや時間も取れますので遠方の兼務社に参向致します。新年を迎え4日目にお仕えする祭祀を歳旦祭と称する事は憚られますので初神樂として御神樂を奉納、祝詞を奏して拝礼致します。昨年12月1日付で兼務宮司に就任した大呂神社では初めて初神樂をお仕え致しました。
初神樂
日南町 菅澤神社・印賀樂樂福神社・熊野神社
島根県奥出雲町 鬼神神社・大呂神社
丁酉の歳を迎え謹んで新年の賀詞を申し上げます。今年も積雪の少ない穏やか年明けとなり氏子の皆様はもとより、思いのほか県内外から初詣のご参拝を頂いております事に驚いています。雪の無い正月はこの様に人々を神社に誘うのですね。
平成29年元旦(日)午前零時、歳旦祭を斎行して新年を寿ぎ、聖寿の万歳と皇室の安泰、国家国民の安寧と繁栄を祈願致しました。今年は総代副会長・責任役員・氏子代表の計3名が昇殿され玉串拝礼をして今年も大神様に至誠お仕え頂く誓いを立てられました。氏子の老齢化が進み境内に積雪が無いとはいえ気温は氷点下、凍るような寒さと成りますので夜中の参拝は大変少なくなりました。午前8時頃から次第に参拝者の姿が見えて賑わい始めます。
1月2日(月)午前7時、初日供祭を斎行し丁酉の歳の最初の日供神饌をお供えして皇室の安泰と国家国民の安寧と発展、平成29年にお仕えする全ての祭祀が恙なく執行出来ますよう祈願致しました。
1月3日(火)午前7時、元始祭を斎行致しました。この祭祀は新暦1月3日に天皇陛下が宮中三殿において「皇位の元始」を祝ってご親祭になり御告文(おつげぶみ)を奏し給う神事で全国の神社も宮中に倣って皇統の大元始(おおもとはじめ)を言祝ぎ奉るお祭りです。