当社の祭礼行事を中心に、日々の出来事などをブログ風にお伝えします。
写真をクリックすると拡大します。
6月30日(木)午後6時、夏越大祓式を執行致しました。年明け以降、私たちが知らず知らずの内に犯した罪や穢れを祓い清めて残りの半年間を清々しい心身に立ち返えり招福除災を祈る古来からの儀式です。
拾遺和歌集
水無月の夏越の祓いする人は千歳の命のぶといふなり。 詠み人知らず
後拾遺集
おもふこと水無月ねとて麻の葉を切りにきりても祓へつるかな 和泉式部
6月27日(月)定例協議員会が神社庁長・同副庁長・役員・協議員(定数33)など40数名が出席してセントパレス倉吉に於いて開催されました。数ある会議の中でも今年度の神社庁運営の方針などについて協議する最も重要な会議です。
開会儀礼、庁長挨拶に続いて正副議長の選出があり倉吉市の賀茂神社の宮司(議長)・鳥取市の大森神社の役員の方(副議長)が就任され、私は議事録署名委員の指名を受けました。上程された15項目の日程の内、1号議案から9号議案を特に念入りに協議して質疑応答が交わされました。2時間30分を超えた協議が終了すると別室で夕食を兼ねた懇親会が開催されましたが私は別途の予定がありましたので乾杯もそこそこに20分程で退席し帰路に着きました。
6月26日(日)多里中学校昭和38年卒業生の同期生会を兼ねた古希の祝い祈願祭を奉仕する為、皆生グランドホテル天水まで出張致しました。本来なら兼務社の多里神社に於いて執行するのですが幹事さんの要望を聞き入れての出張です。ホテルの一室を貸切にして祭壇をしつらえ、同期生18名が参列して午後4時30分より斎行致しました。県の内外から氏神様に参集して、さらに皆生のホテルへの移動は所要時間も掛り、体力的にも負担が大きいとの理由です。なつかしい思い出が残る多里神社の大神様に祈願がしたいとの強い希望でしたので快くお引き受けした次第です。
6月25日(土)日野仏教会主催の法要に神社庁日野支部長としてお招きを受けて参列致しました。日野仏教会副会長の浄香寺住職のほか20数名の僧侶によって営まれました。参列者は遺族会役員や関係者、遺族のほか我々来賓などを含めても40名に満たないようで遺族の高齢化は年々加速的に進んでいます。
会場の日野町山村開発センターは哀悼のお香に包まれ厳粛な式典でした。 合掌
氏子の英霊や社家の祖霊などを奉祀する彰徳殿の例祭を6月23日(木)午後2時からお仕え致しました。昨年と同様、遺族1名が参列されただけでした。事前に御神樂料をお供え頂いた方も有りましたが直近の遺族は介護施設に入居中だったり体調不良の方などがほとんどですので誠に心寂しいばかりです。国難に際し尊い生命を捧げられたご英霊に慰霊と感謝の心を捧げる誠の思いを次世代にも継承する事に一層力を注がなければなりません。
6月20日(月)神社庁において開運八社巡りの打ち合せ会が開催されました。来年(酉年)の取り組みについて県の観光連盟の担当者2名と開運八社の宮司2名(小職と福成神社 宮司)神社庁主事1名の計5名で意見交換や現況報告をして今後の予定などについて詳しく打ち合せを致しました。
開運八社巡りの打ち合せ会で神社庁に向かう途中、鹿野町に鎮座する加知彌神社(かちみじんじゃ)に参拝致しました。当社と同じく県社の社格を有していた古社です。初めて伺った広い境内は杉・銀杏・欅など多様の大木で形成された森厳な杜でした。
ご祭神 彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
そしてもう1社、卯歳の開運八社の干支所縁神社、「因幡の白兎」で有名な白兎神社にも久しぶりに参拝を致しました。神社がある国道9号線沿いには道の駅「神話の里白うさぎ」もあり相乗効果で賑わっていました。
ご祭神 白兎神(はくとしん)豊玉姫命・保食神(うけもちの神)
6月19日(日)県内7支部の支部長懇談会が鳥取市鹿野町の国民宿舎山紫苑で開催されました。昨年の7月1日付けで新たに就任した西部支部長と中部支部長も出席され留任組の5人も併せ7人全員が揃っての懇談会となりました。午後6時30分からの夕食を兼かねた懇談の前に浴衣に着替えてかけ流しの露天風呂に入って汗を流し、少しくつろぎました。
懇談会では沢山の料理ともに地酒などを頂きながら各支部の近況報告や課題、今後の活動などについて深夜まで話は尽きませんでした。翌朝は5時30分頃には起床して再び露天風呂や展望風呂などに思い思いに入浴して朝食を頂き解散となりました。
6月11日(土)鳥取県神社庁西部支部の汗東地区神社会の神職6名と総代など37名の方々においで頂きました。近隣の神社巡拝を中心に文化施設なども訪問される日帰りの研修旅行との事です。正式参拝をお仕えした後、ご挨拶をさせて頂きました。当社参拝の前には4月22日にオープンしたばかりの道の駅「にちなん日野川の郷」にも立ち寄られました。
今回の参拝に当たり日南町観光協会長にも駆けつけて頂き、歓迎のご挨拶と共に日南町観光のパンフレットを皆様に配布して頂きました。また併せて一行を乗せたバスの出迎えと見送りまでと至れり尽くせりの歓迎の「おもてなし」をして頂きました。誠に有難うございました。
6月9日10日と神宮参与同評議員会・伊勢神宮崇敬会代議員会に出席致しました。9日の夕方には神宮大宮司様を始め神社本庁統理様・同総長等が同席される懇親会が神宮会館大講堂で開催されました。我が鳥取県からは神社庁長・同理事・同参事・県神社総代会長・小職の5名が出席し沢山のお料理とお酒を頂きました。
懇親会に引き続きの2次会は島根県と合流して宇治山田駅前の居酒屋で酒盃を重ね楽しく歓談致しました。特別ゲストとして米子市出身の神宮の禰宜さんもおいでになりました。
翌日は午前8時に出席者一同が外宮に集合して神社本庁統理様・同総長などの本庁役員の方々と共に外宮・内宮を御垣内参拝、内宮神樂殿の大々神樂の奉奏に参列した後、会議場の神宮会館に向かいます。
定刻、大宮司様・本庁統理様・同総長のほか来賓の方々が登壇されると開会儀礼に引き続き会議日程は粛々と進行し、神宮の現況、伊勢神宮崇敬会会務報告、その他について担当の禰宜ほか職員により説明と報告が有り、全て了承されました。予定より幾分早く終了し、昼食のお弁当と記念品を頂戴して帰路に着きました。
全国の評議員1408人の内、出席者522人
旧暦5月1日(新暦6月5日)を明日に控え、社務所玄関前の「さつき」が沢山の花を付けました。
ツツジ科に属し山奥の岩肌などに自生して旧暦の5月を迎える頃に咲き揃う事から「さつき」の名で親しまれ盆栽としても好まれます。
今日(6月4日)中国・四国地方が梅雨入りの発表が気象庁よりありました。平年より3日早く、昨年より2日遅いとの事です。
6月1日(水)午前7時、月次祭を斎行して皇室の御安泰と国家国民の繁栄、氏子崇敬者の安寧を祈念致しました。当社は今日から更衣をして夏物に改めました。今月と9月の月次祭には総裏付の紗織の狩衣、暑さが厳しい7・8月は肩裏付の紗織の狩衣を着用する事にしています。
2ケ月ぶりに撮影した社務所周辺の様子です。やや曇りがちの朝ですが午後あたりから晴れ間が覗くとの予報です。日増しに緑が深まり初夏を迎えた境内です。
5月31日(火)米子市の「米子コンベンションセンター」小ホールにて国民精神昂揚運動合同研修会が開催されました。県下の神職や総代・一般来場者など約300名が出席、うち日野支部は神職20名・総代など31名が出席致しました。開会儀礼の後、研修会の講師、明星大学教授の高橋史朗先生が登壇され「日本の誇りを取り戻す」と題して大東亜戦争終結後の占領期にGHQが我が国が二度と立ち上がれなくなる事を狙って我々日本人に戦争を遂行した贖罪意識を植付け、精神的解体を目的に実行したWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)からの脱却と日本の家族を核とする共同体精神を取り戻す事の必要性を訴えられました。続く質疑応答の後、聖寿の万歳を三唱して閉会となりました。
主催 神社庁・県神社総代会・神政連県本部 共催 美しい日本の憲法をつくる鳥取県民の会・新しい歴史教科書をつくる鳥取県支部・教育を考える鳥取県民の会
30日(月)、明後日の朔日を控え夏用装束の準備と冬用装束の収納に取り掛かりました。明日は米子市に出張する予定ですので今日の作業と致しました。当社では6月1日~9月30日までは紗や絽で織った狩衣や白衣・差袴などを着用致します。立夏から立冬まで夏物を着用する神社もあります。
写真は殿上で着用する為、新たに購入した夏用の狩衣。
5月25日(水)野田山祭を斎行致しました。野田山の山中(約500m)に鎮座して大山祇命・元禄時代に山の入会権を守った3人の義民(市兵衛・壮三・松本直一 藩命により処刑)を祀る山神の社に(株)秋田木材の社長ほか林業関係者など12名が参列致しました。昨夜からの雨が心配されましたが一時小康状態を保って、準備も含め神事が恙なく終了するまで降る事はありませんでした。
晴天であれば社殿近くの日陰を選んでの直会となりますが今年は下山して(株)秋田木材の社長宅に変更となりました。毎年の事ですが野田山鎮護のご神徳のほか勝負事にご利益がある話題で楽しい歓談となりました。
5月22日(日)祭式研修会を野上荘神社で開催致しました。兼業神職の事を考慮に入れた日曜日の日程です。予定を調整した管内神職14名が受講致しました。
野上荘神社(通称 八幡さん)
天照大神・誉田別命ほか22神を祀る旧郷社
例祭日 10月9日
伯耆町福吉264
平成25年9月にもご指導頂いた神社庁祭式講師、湯梨浜町の旧国幣小社 倭文神社の宮司にご来駕頂き、開会儀礼に引き続き、早速研修に入りました。先ずは基本的な作法や動作を質疑応答も含めて入念に再確認致しました。祭典演習では受講生の内から5名を選抜し模擬祭典を行いました。今回の研修でいつの間にか身に付いてしまった悪い癖・誤った理解・疑問点などの多くを改善・解決する事が出来ました。
祭式研修の中に時間を割いて衣紋の演習も行いました。経験や年齢にかかわらず技量が低いと自覚する神職が積極的に衣紋者となって正服(衣冠)の着装に習練を重ねました。
去る5月1日の春季大祭に宮司以下祭員・献幣使・同随員が参進する様子を撮影された写真を頂きました。これは地元の農事組合法人「かわかみ」のフェイスブックに掲載されていた写真で許可を得て使用しています。威儀を正し整然と神事に向かう神職達の緊張感が伝わってくるような良い写真を撮って頂きました。当社の春季大祭は日野支部管内で最も大勢の神職が奉仕し、日野大社と尊称された往時を彷彿とさせる大祭典です。その一コマを絶妙に切り取って下さいました。
春季大祭(ギャラリー)にも掲載致しました。
有難うございました。
4月29日から始まった大型連休も今日5月8日をもって終わり、期間中には開運八社めぐりの方々のみならず県内外の各地からお参りを頂き、御神札・御守・ご朱印の授与など出来る限りの対応をさせて頂きました。また新規に授与を始めた「幸福を引く四季の花おみくじ」は特に女性の方々に喜んで頂きました。この間、当社や印賀の樂樂福神社の春季大祭、福成神社の助勤など奉仕の都合上ご不便をお掛けした方にはお詫び申し上げます。明日からは通常の奉仕に戻り境内清掃や溜まった事務仕事などに従事致します。
5月5日(木)印賀の樂樂福神社春季大祭を斎行致しました。3日・4日と続いた台風並みの暴風で境内は杉などの枝や葉が散乱している事を覚悟して参向致しましたが神社管理人さんと総代会によって境内は何事も無かったかの様に掃き清められていました。お蔭様で今年も清々しく厳粛にご奉仕させて頂きました。
(春季大祭に併せて熊本地震復興祈願祭執行)
大祭典は宮司ほか神職2名が助勤奉仕、総代会長以下役員総代が参列、一昨年の秋祭りから巫女舞の奉納が叶わなくなりましたので今回も石見神社の宮司に朝日舞を奉納して頂き、麗しい大祭典にして頂きました。近年、私が宮司を務める神社で朝日舞を奉納して頂く場合は石見神社 宮司にお願いをしてやや大きめの玉串を執り物として舞って頂き、舞い納めるとその玉串を宮司に勧め、宮司がそれ受けて玉串拝礼をする流れとさせて頂いています。
お蔭様で3月18日より12社(含む代行奉仕)の斎主と4社の助勤をお仕えした春祭りを恙なく納める事が出来ました。
5月1日(日)は午前5時には昇殿して神饌の盛り付けを行います。日南町産の食味の良い白米・玄米・お餅のほか天然真鯛・海菜(海苔・昆布)・新鮮な野菜・香りの良い果物・塩と水、そして今回のお酒は伊勢神宮の御料酒である白鷹を供す事に致しました。その後、社殿の装飾や祭具の舗設、彰徳殿の神饌の盛り付け等を行います。
初夏を思わせる五月晴れの中、大祭典は宮司のほか祭員4名・樂員2名が奉仕、神社本庁献幣使(高圀神社 宮司)同随員が参向、総代会長以下役員総代が参列して厳粛に斎行致しました。また島根県安来市の縄久利神社 宮司には今年も剣の舞を奉納して頂きました。今年は祭礼日が日曜日と重なり、開運八社めぐりの参拝者も大勢おいでになり境内が賑わいました。
(春季大祭に併せて熊本地震復興祈願祭執行)
大祭典終了後、退下して神幸式の準備に取り掛かります。当社の神輿巡幸は神輿を車にお乗せして氏子区内を巡る簡素な行事ですが老齢化も手伝って毎年神輿の到着を心待ちにして下さる方々がいらっしゃいます。
4月30日(土)午後6時、宵宮祭を斎行して明日の春季大祭(例祭)の全ての祭事が遺漏なく厳粛にお仕え出来る事を願って祈念申し上げました。日が長くなり祭典終了後の午後6時30分頃でも境内は明るく明日の好天を約束するかのようでした。
4月29日(金)「昭和の日」に日供祭に併せて武蔵野の御陵を本殿を通して遥拝し昭和天皇のご聖徳を偲び奉りました。
昭和天皇御製 「天地の神にぞ祈るあさなぎの海の如くに波立たぬ世を」
今日は午後から当社の宮掃除と祭礼幟立て作業に上三栄地区の氏子の方々が出夫されますので福成神社の助勤奉仕の出発時間ギリギリまで事前の下準備を致しました。
4月29日(金)福成神社の春祭の助勤奉仕に伺いました。宮司のほか4名の神職が助勤奉仕をして厳粛に斎行されました。昨年の秋祭りから石見神社の宮司の指導により氏子の女子児童が浦安の舞を奉納しています。この舞姫さん6名は祭典後、子供神輿の巡航にも供奉して賑わいに華をそえました。
4月28日(木)菅澤神社の春季大祭を斎行致しました。昨日の午後から降り出した雨は風も伴い気温も低くなり拝殿の2台のストーブを点火する程でした。このような天候の中三々五々、氏子の方々にお参り頂き、その都度お神樂を奉奏させて頂きました。また祈願祭を5座執行致しました。
(春季大祭に併せて熊本地震復興祈願祭執行)
先月16日に頒布を始めた四季の花おみくじが好評で多くの参拝者の方々にお受け頂きますので来るゴールデンウィークに備えて業者に追加発注を致しましたのが先日納品されましたので日供祭に併せて本日(26日)清祓い式を斎行致しました。
以前ご紹介致しましたように四角錐の千代紙の内側に内容が記され、中には小さな鈴の御守が入っています。ご参拝の折には是非お試し頂いて開運招福の花を咲かせて下さいませ。 初穂料 1体300円
4月25日(月)多里神社の春季大祭を宮司ほか2名の助勤神職が奉仕し、総代会長以下役員・総代・自治会長などが参列、助勤の石見神社 宮司に朝日舞を奉納して頂き厳粛にお仕え致しました。青空がのぞき気温も高く穏やかな祭礼日となり境内の八重桜も満開でほのかに香っていました。しかし、今日の好天は田畑の作業に従事したい方もあってか大祭典後の直会も40分程でお開きになりました。
(春季大祭に併せて熊本地震復興祈願祭執行)
4月23日(土)江府町の美用神社の春季大祭を代行奉仕致しました。朝からの曇り空も大祭典が終る頃には雨がぱらつきました。総代会長ほか役員・区長など7名が参列して厳粛に斎行致しました。直会の席では拝殿の高欄部分の修繕を中心とした営繕事業が話題になり、近いうちに実現して頂けそうです。私も嬉しくなって少し多めにお神酒を頂いてしまいました。
(春季大祭に併せて熊本地震復興祈願祭執行)
4月22日(金)鳥取市に鎮座する鳥取縣護國神社の春季大祭の助勤奉仕に伺いました。昨日の風雨も上がり好天の中、午前10時に参進、宮司・禰宜・権禰宜ほか祭員(県内7支部の支部長)献幣使・同随員・樂員・舞姫(地元高校生4名)詩吟奉納者(3名)が奉仕、県遺族会長、県知事(代理)県議会議長(代理)、国会議員(代理)など関係者が参列して厳粛にかつ盛大に斎行されました。
ご祭神 戊辰戦争から大東亜戦争までの英霊23.478柱
4月18日(月)大石見神社春祭の助勤奉仕に伺いました。昨日と比べるとやや肌寒い1日でしたが大祭典は宮司のほか3名の助勤神職が奉仕して厳粛に斎行されました。剣の舞を奉納する予定の神職が急遽、都合欠員となり宮司自らが大前で詩吟を奉納する事で凌ぐ事が出来ました。併せて敬老祭の斎行や境内には氏子の方が丹精した盆栽の展示もございました。
4月17日(日)福榮神社の春季大祭を斎行致しました。昨夜来の強風雨もおさまり午前中には陽が差して好天になりました。宮司ほか3名の助勤神職が奉仕をして、石見神社の宮司には朝日舞を奉納して頂きよりいっそう厳粛な祭典となりました。本日の好天を受けて2年ぶりに神幸式もお仕え出来ましたので氏子とっても大変うれしい春祭りでした。
4月15日(金)日野町の根雨神社春祭の助勤奉仕に伺いました。宮司ほか2名の神職が助勤をし役員総代4名が参列して厳粛に斎行されました。宮司による朝日舞の奉納も有りました。この神社の本殿背面には影面岩(かげともいわ)と称する柱状石があり本来のご神体とも考証され信仰されています。
写真の右上、しめ縄が巻かれた岩が影面岩で周囲には環状石柱の残祉と方形卓上の石もあります。
8日から11日まで連日の春祭りで本務社を留守にしている間に石鳥居下の2本の八重桜の内1本が満開になりました。そばまで行くとほのかに甘い香りがただよっています。ご参拝のご婦人お2人も写真におさめておいてでした。あと10日すれば隣の1本も満開を迎えますのでもうしばらくは樂しめそうです。
4月8日(金)熊野神社の春季大祭を斎行致しました。昨年までは旧3月3日が祭礼日でしたが氏子総代会からの申し出により本日の執行となりました。大祭典には総代会長以下役員・氏子など10人が参列して慎ましくも厳粛にお仕え致しました。祭典後には拝殿で和やかに直会を致します。
4月9日(土)江府町の御机神社の春季大祭を代行奉仕致しました。総代会長ほか6名が参列して厳粛に斎行致しました。御机神社の後方には大山が屏風のようにそそり立っています。写真は神社にほど近い標高600m付近で撮影しました。
4月10日(日)奥出雲町の鬼神神社の春季大祭を代行奉仕致しました。この度役員改選がなされ新会長ほか6名の総代が参列して厳粛に斎行致しました。この日は気温も高く5月初旬を思わせるような暖かさでした。
4月11日(月)江府町の吉原3社(吉原神社・西成神社・袋原神社)の春季大祭を代行奉仕致しました。この日は雨こそ降りませんでしたが気温が低く3月下旬並みの天候となり吹く風も冷たい1日でした。
新年度に入り何かと忙しくしている間に石鳥居前の参道に連翹(れんぎょう)が花を咲かせました。洋名ゴールデンベルの花言葉は「叶えられた希望」です。当社では開運招福の花として開花を待ち焦がれていました。金運招福を願ってご参拝になる皆様にお蔭が頂けますよう祈念申し上げます。
4月3日(日)神社本庁通達の神武天皇2600年式年祭の遥拝式を日供祭に併せて執行致しました。今年は神武天皇が崩御されてから2600年にあたり奈良県橿原市の畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)では天皇陛下が秋篠宮様を伴い「御告文(おつげぶみ)」を奏せられ、皇后陛下・秋篠宮妃紀子さまが御拝礼なさいました。皇太子、同妃殿下は皇居の皇霊殿を御拝礼なさいました。
日供祭と遥拝式がすみますと朝食もそこそこに菅澤神社に参向して同社に合祀されています秋原荒神祭を斎行致しました。7戸の氏子で本殿に納める小荒神幣80本と各自が持ち帰る荒神幣20本を奉製して神饌と共に外陣にお供えしてお祭りする、当地方で俗にいう「幣はぎ」祭りです。
また理由はさだかではありませんがこの荒神様にお捧げする玉串はモミの木の小枝で奉製する決まり事が有ります。
祭典後はお供えしたお神酒を撤饌して折詰料理と共に皆で頂き直会と致します。
4月1日(金)午前7時、月次祭を斎行して皇室の御安泰と国家国民の繁栄、氏子崇敬者の安寧を祈念致しました。また併せて「樂樂福神社御神樂神札」の遷霊祭を執行致しました。この神札は当社(5月1日)と印賀の樂樂福神社(5月5日)の春季大祭に御神樂料をご奉納頂いた氏子崇敬者の方々にお頒ちしています。
2年連続で雨降りの新年度となりましたが日中は回復して曇り空となるようです。日増しに暖かくなり縮こまっていた体の動きもやや軽やかになり境内の清浄も維持出来ています。今日から新しい環境などで様々な人生の節目を迎えられた方々に樂樂福大明神様のご加護がございますようご祈念申し上げます。