当社の祭礼行事、季節の出来事などをブログ風にお伝えしてまいります。

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神道行法練成研修会(みそぎの研修会)

神拝行事
神拝行事

3月29日(土)春祭りの時期を前に西部青年神職会が主催する神道行法練成研修会を道彦として指導をする為、瀧山神社に参向致しました。開講式・行法演習の後、神拝行事を行います。

 

用語解説 道彦(みちひこ)とは禊行の指導をする者


H25ささふくの杜便り1月~4月

鳥船行事
鳥船行事

脱衣の後、禊斎場の龍王瀧に参進、祓詞を奏上し西部青年神職会長以下7名の受講生と共に鳥船(とりふね)・雄健(おたけび)雄詰(おころび)気吹(いぶき)の各行事を力強く行って邪気を祓い、気力を奮い立たせます。

(昨年は4名の参加)

 

用語解説 龍王瀧は小泉八雲の小説「骨董」にも登場する神秘の瀧

大祓詞奏上
大祓詞奏上

御瀧の中に参入して大祓詞を奏上の後、各自が滝壺に進んで霊水の飛沫を頂きます。禊(みそぎ)が終わると鳥船・雄健・気吹の各行事の後、瀧山神社の拝殿前に退下、目出度く納めとします。

今年も瀧山神社の総代さん方には早朝に出夫して頂き境内の清掃と焚火のお世話をして頂き、さらには宮司さんも参向されご挨拶を頂きました。

 

開花宣言(3月28日)

椿の開花
椿の開花

今週末は桜の花見の話題が伝えられて居ますが、当社ではようやく椿の花が開き始めました。昨年より6日遅れの開花宣言です。

 

品種は大山白(だいせんはく)と思われます。

 

国民精神昂揚運動合同研修会

合同研修会の昼食
合同研修会の昼食

3月27日(木)神社庁・県神社総代会・神政連県本部が共催する研修会に支部の神職13名・総代8名で参加致しました。中型バスで早朝に日野郡を発って昼前には鳥取市に到着しました。昼食は副支部長が予約をした「しいたけ会館 対翠閣」で椎茸をふんだんに使った料理を楽しみました昼食後、会場の「県民ふれあい会館」に移動して午後1時からの開会に備えました。

講演会
講演会

定刻、開会儀礼の後、「記紀編纂1300年と日本の再建」と題して宮崎県の高千穂神社の宮司さんの講演を拝聴致しました。神話を建国の起源とする天皇を頂く我が国の有難さと誇らしさを再確認させて頂き、今後も斯界発展の為、微力を尽くす決意を致しました。

 

参加者276名

全体研修
全体研修

講演会の後は全体研修として「神宮遷御の儀臨時出仕につて」宇倍神社の禰宜・「神話本配布活動について」倭文神社の宮司「いなばの白兎と白兎神社」白兎神社宮司の三氏より報告と発表が為されました。質疑応答の時間が終了すると聖寿の万歳を三唱して閉会となりました。

伊勢の神宮ご親拝

天皇陛下ご親拝
天皇陛下ご親拝

3月26日(水)天皇・皇后両陛下には遷御の儀が目出度く調った伊勢の神宮の内宮・外宮にご参拝なさいました。

天皇陛下のご親拝にあたり20年ぶりに、宮中に奉斎される三種の神器(八咫鏡)(天叢雲剣)(八尺瓊勾玉)の内、剣と璽(勾玉)が天皇陛下に従ってご動座されました。

高代部落祭

高代部落祭の祭壇
高代部落祭の祭壇

春らしい日となった3月23日(日)福榮神社の氏子、高代部落の祭礼を奉仕致しました。この集落がお祀りする荒神様・山神様・愛宕様・地神様を公民館を斎場に24戸の氏子が揃って斎行致します。

 

荒神様
荒神様
愛宕様と山神様
愛宕様と山神様

地神様
地神様

公民館での神事が終わると更に現地の荒神様・愛宕様と山神様・地神様を巡拝して田畑の順調な作業と五穀豊穣を懸命に祈ります。

高代部落祭の直会
高代部落祭の直会

巡拝を終えて公民館に帰ると直会の始まりです。集落のご婦人方の自慢の料理が所狭しと並びます

春の祖霊祭

代宮家の祖霊祭
代宮家の祖霊祭

3月21日(金)彼岸の中日に神道の家では祖霊祭を斎行して先祖の御霊をお慰め致します。木山代宮家でも家族が参列して丁重にお祀り致しました。その後、神徒のお宅(1件)に伺って春の祖霊祭を斎行致します。

 

用語解説 代宮家(よこや)とは出雲・伯耆地方で社家(累代神職の家)をさす言葉

代宮家の奥津城
代宮家の奥津城

午前中に御霊舎の祭祀を務めて午後には奥津城に墓参を致しました。彼岸の中日に雪が降るのは当地方でも大変めずらしい事です。

宮中では春季皇霊祭が斎行され、皇霊殿に奉斎された御歴代の天皇と皇族の御霊を今上天皇が自らご親祭なさいます。

 

用語解説 奥津城(おくつき)とは神道墓地の事。

皇霊殿とは吹上御苑の東南に並列して建つ宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)の一社。

時局対策研修会

時局対策研修会
時局対策研修会

3月20日(木)神社庁に於いて時局対策研修会が開催されましたので出席致しました。県内の神職・総代など40数名が参加して神殿拝礼・開会儀礼の後、研修が始まりました。最初に神社本庁で開催された第12回時局対策連絡会議に出席した鳥取支部長から憲法・皇室と宮内庁を廻る諸問題や河野談話により政治問題化した慰安婦問題の真実などについて詳細な報告がありました。次に昨年夏の第23回参議院議員選挙の総括が神政連県本部の幹事長によってなされました。最後は神社運営状況アンケートの集計結果を基に神社経営の問題点や氏子の減少と過疎化・少子化や後継者の確保育成などについて研究討議を重ねました。

池の埋納祈願祭

3月16日池埋納祈願祭
3月16日池埋納祈願祭

日曜の大安を選んで池埋立ての祈願祭の依頼を頂き、出張致しました。このお宅のご主人はかつて当社の責任役員を勤めて頂いた方で、現在は奥様と2人暮らし、自宅のお庭はご自身で綺麗に手入れされています。

この度は、池の鯉などが次々と野生動物の被害に遭い、また山水を引いておられる為、枯葉や流入物の排除などの手入れが老齢の為に困難になったのが理由です。中山間地で進む過疎化は神事の背景にも影を落としています。

富益神社

富益神社
富益神社

14日の皆生温泉での1泊会合の帰り、当社と共に因伯開運八社の一社に数えられる富益神社に参拝致しました。昨年の11月に目出度く遷宮祭が斎行されたばかりで、記念の幟が立ち並び綺麗に整備された境内でした。

御祭神 天照大神・素盞鳴命・富益邨開村元祖

      公務殉職英霊

例祭日 11月3日

富益神社2
富益神社2

富益神社は社伝によると江戸時代中期の宝永5年(1708年)この富益の地に第1次開拓者として17人の氏祖が移住したのが富益村の始まりと言われ、その際に当地にあった古木を荒神と称え産土の神と崇敬し、その後、江戸末期の安政5年(1858年)に伊勢神宮の御分霊を勧請して「富益大神宮」として鳥取藩の崇敬も受けるようになったと伝わっています。

蕗の薹

3月12日収穫した蕗の薹
3月12日収穫した蕗の薹

昨年は3月1日に収穫出来た蕗の薹ですが今年は12日遅れで日供祭に併せてご神前にお供え致しました。

蕗の薹は山里に、待ち望んだ春の訪れを告げてくれる嬉しい山菜です。天ぷらや蕗の薹味噌して春の苦みを皿に盛り、体に溜まった毒消しにします。私はサッと水洗いして、生のまま細かく刻んで味噌汁などの薬味として食す事を好みます。

3月11日(火)

日供祭に併せ大祓詞奏上
日供祭に併せ大祓詞奏上

あの忌まわしい東日本大震災より早くも3年の歳月が重なりました。今日は日供祭に併せ大祓詞を奏上して犠牲になられた方々を追悼し、被災地の復興と被災者の平安を祈念致しました。

本日、午後には政府主催の追悼式が東京都千代田区の国立劇場で天皇皇后両陛下をお迎えして行われ、午後2時46分から参列者全員で1分間の黙祷の後、天皇陛下がお言葉を述べられます。

(地震発生時刻 平成23年3月11日午後2時46分)

3月10日の雪景色

3月の雪景色
3月の雪景色

昨夜から降り出した雪で境内はご覧の通りの雪景色です。季節が1ヶ月は後戻りしたような感じでしょうか。低温の寒気のせいか雪質も水分が少なく幾分サラサラとした感触で、3月に降る水分を多く含んだ雪とは少し違う感じです。

第34回伊勢神宮参拝旅行 最終日

琵琶湖の朝焼け
琵琶湖の朝焼け

旅の疲れもあるはずですが午前4時30分頃に起き出して大浴場に入浴し、部屋に戻ると美しい朝焼けの景色が眼前に広がっていました。写真が趣味の石見神社 宮司につられて撮影を致しました。

石上神宮
石上神宮

午前8時にはホテルを出発して石上神宮に参拝致しました。この神社には10数年前に神道行法錬成の研修会を受講するために数回訪れた厳しくも懐かしい思い出があります。

 

石上神宮 御祭神 布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ) 他6神
例祭日 10月15日
神宝「七支刀」で有名な大和の古社で、創建は神武天皇の御代に遡り、崇神天皇7年にこの地に祀られた。

大神神社
大神神社

続いては大神神社(おおみわじんじゃ)に参拝です。この神社は平成13年頃まで私の伯父が宮司を務めておりましたので個人的に思いの深い神社です。その事もあってか参拝の折にはわざわざ権宮司様にお出迎え頂き、参拝者一同にも丁重なご挨拶を頂戴致しました。

 

大神神社 御祭神 大物主大神 大己貴神 少彦名神

例祭日 4月9日

拝殿の背後、杉の木立におおわれた三輪山(標高467m)は大物主大神の鎮まる神体山として古くから崇敬され三輪明神として御神徳を慕う参拝者が絶えない大和国一の宮

興福寺
興福寺

昼食後は奈良市内に移動して興福寺の国宝館を拝観致しました。沢山の仏像の展示物中でも国宝の阿修羅像が若い女性達に1番の人気者だそうです。

(館内の写真撮影は許されません)

春日大社
春日大社

興福寺の見学を終えると隣接する春日大社に参拝致しました。広大な神域には約1000頭もの鹿が遊びます。以上で全ての日程を終了し帰途に就きました。午後6時50分頃には蒜山SAに到着し無事に解団式を行いました。

 

春日大社 御祭神 武甕槌命(たけみかつちのみこと)経津主命(ふつぬしみこと)天児屋根命 比売神(ひめかみ)

例祭日 3月13日

神護景雲2年(768年)にこの地に鎮座したと伝わる。宮廷で力を振るった藤原氏一族の氏神を祀る名社

 

第34回伊勢神宮参拝旅行 2日目

内宮の御垣内参拝
内宮の御垣内参拝

翌日は早々に朝食を済ませ午前8時にはホテルを後にして内宮に向かいました。内宮でも全員が御垣内に参入させて頂き、日野支部長の私と日野郡神社総代会長の2名は更に中重鳥居(なかのえとりい)前まで進んで一緒に拝礼させて頂きました。昨年10月2日の遷御の儀により御神威が瑞々しく蘇ったご正殿を間近にしてのお参りは感激もひとしおでした。

(御垣内での写真撮影は許されません)

おはらい町
おはらい町

内宮参拝の後は引率をしてくれた岩戸屋で休憩し、おはらい町やおかげ横丁で自由行動を致します。平日の早い時間でしたので人出も想像よりは少なめで皆さんゆっくりとお土産の購入や散策を楽しんでいらっしゃいました。

 

彦根城
彦根城

午前10時30分には伊勢の地を立って、途中の信楽で昼食をして彦根市に入りました。事前に登城が大変なお城だと説明された彦根城でしたが殆どの参加者が天守閣まで登られました。

幕府の重臣、井伊家の居城である彦根城はいくつもの屋根様式を巧みに組み合わせた美しい曲線の調和をみせる天守閣でした。

支部長挨拶
支部長挨拶

2日めのお宿は大津市の琵琶湖グランドホテルです。皆さん早速に入浴を済ませ宴会場に集合です。宴会に先立ち多数回に亘りご参加頂いた27名の方々の表彰式(5回10回13回17回20回)が執り行われ日野郡神社総代会長より表彰状と記念品が授与されました。表彰式終了後、日野支部を代表してご挨拶させて頂きました。2日目の宴会も楽しく和やかに進み、昨晩同様にカラオケ大会で賑いました。

第34回伊勢神宮参拝旅行 1日目

結団式と打合せ
結団式と打合せ

3月2日(日)から3月4日(火)にかけて2泊3日の日程で伊勢神宮参拝旅行に行って参りました。

神社庁日野支部と日野郡神社総代会の共催により今年は177名の氏子や総代・13名の管内神職が参加致致しました。今年は式年遷宮の直後とあって昨年より42名の増員です。

管内各地区から日の丸バス5台に分乗し蒜山SAに集結し、役員・添乗員・乗務員が揃ったところで結団式と打合せをして出発致します。

外宮神樂殿で御神樂奉納
外宮神樂殿で御神樂奉納

途中、関のドライブインで昼食をとり、外宮に到着した頃には雨が降り出して来ました。神樂殿では日野支部の御神樂奉納と参加者の個人祈祷も受け付けて頂き、典雅な神樂舞や舞樂が捧げられ神代の手振りに浸りました。

(神樂殿内の写真撮影は許されません)

外宮の御垣内参拝
外宮の御垣内参拝

御神樂奉納を終える頃には雨も小降りになり傘も要らなくなりました。引き続き昨年10月5日に遷御の儀が調った外宮のご正殿がお鎮りになる御垣内に参加者全員で参入させて頂き正式参拝を致しました。その後、旧ご正殿にご案内頂きおそば近くで拝観させて頂きました。昨年の11月に拝観させて頂いた時にも感じた事ですが、豊受大御神様は既にお遷になったとはいえ神々しいお姿で威厳に満ちた旧ご正殿でありました。(御垣内の写真撮影は許されません)

夫婦岩
夫婦岩

二見興玉神社での自由参拝と夫婦岩の見学をする頃には雨もすっかり上がり青空も戻ってきました。

鳥羽シーサイドホテルの宴会料理
鳥羽シーサイドホテルの宴会料理

定宿の鳥羽シーサイドホテルに入るとお風呂を浴びてから総勢190名の大宴会です。饗膳の上には沢山の料理が所狭しと供され「祝 第62回神宮式年遷宮」の文字も踊ります。

団長を務める日野郡神社総代会長が参加者へのお礼と氏神様への支援を願う立派なご挨拶の後、目出度く乾杯を致しました。

演芸披露
演芸披露

宴会では今年も安来節と泥鰌掬(どじょうすくい)が参加者により披露されました。もちろん衣装・小道具・三味線・締太鼓一式自前の持ち込みです。(写真の中央の黄色いバケツには本物の泥鰌が入っています)

カラオケ大会
カラオケ大会

演芸の後は、カラオケ大会になり参加者が自慢の咽喉(のど)を披露されます。

こうして賑やかに楽しく鳥羽の夜は更けてゆきました。(この女性の衣装も自前だそうです)

月次祭

月次祭
月次祭

3月1日(土)午前7時、月次祭を斎行致しました。今月より大祭を除く恒例の祭典には胡床(こしょう)を使用する事に致しました。実は新年の歳旦祭より試みに用いていましたが、総代や祈願者の方々の評判も上々なので正式に使用を決めました。

黒漆塗りと素木の胡床
黒漆塗りと素木の胡床

胡床は本来、庭上や土間、あるいは板敷の間などで使用する椅子で、畳敷きの拝殿などでの使用は憚りますが、生活様式の洋風化や老齢の氏子・崇敬者の要望と利便も考慮して決定した次第です。

 

用語解説 胡床(こしょう)は床机(しょうぎ)合引(あいびき)ともいい、堅木で作り素木又は黒漆塗りにして上部に白布や錦布を張った椅子。

朝の境内
朝の境内

弥生3月を迎え、夜明けも早くなりました。境内の雪も7割くらいは融けてくれましたので境内の往来もゴム長靴から草履に履き替える事にしました。

今月の中旬くらいには蕗の薹(ふきのとう)も顔をのぞかせる事でしょう。

神社庁 神殿祭

神殿祭 斎主玉串拝礼
神殿祭 斎主玉串拝礼

2月27日(木)神社庁の神殿祭に参列致しました。この神殿祭は一般神社の例祭に相当する大切なお祭りで、斎主を神社庁長が務め、副斎主を神社庁主事、以下祭員を青年神職(3名)が奉仕致します。神社庁の役員・支部長・協議員など神職の代表者・県総代会長・総代会関係者・被表彰者など40数名が参列して厳粛に斎行されました。

表彰状を受ける生山神社総代会長
表彰状を受ける生山神社総代会長

祭典終了後、神社庁長表彰の表彰式が挙行され、神社運営などに永年の功績のあった神職(5名)総代(6名)に神社庁長から表彰状と記念品が授与されました。日野支部からは生山神社総代会長・山口神社総代会長の2名がその栄に浴されました。

直会 庁長挨拶
直会 庁長挨拶

直会は会場をホテルニューオオタニ鳥取に移して和やかに歓談致しました。

日野支部役員会

日野支部役員会
日野支部役員会

2月18日(火)日野支部役員会を開催致しました。来る3月2日(日)~4日(火)にかけての第34回伊勢神宮参拝旅行についての最終の会議です。既に年明けの1月17日(第1回)2月3日(第2回)を開催して参加人数の報告や車輛編成・車輛長の任命などを近畿日本ツーリスト山陰支店の担当課長も出席して協議を重ね、今日は諸事項の最終確認とバスの座席割と宿の部屋割が主な協議事項です。

座席割と部屋割
座席割と部屋割

今年はご遷宮の直後という効果もあって200名の参加申込がありました。

(例年は130名前後・当初の申込予想180名)

特に部屋割りの作業は、近ツーの担当課長が予め確保した部屋に抜かりなく人員を配分しなければなりませんので、大変神経を使います。参加者同士の同室希望や夫婦2人部屋の希望など様々な要望にも出来るだけ対応しなければなりません。各町の責任者も思わず席を立ち、必要な部屋数と要望などを意見交換し万全な調整に心を砕きます。

夜啼き荒神祭

夜啼き荒神祭 祭壇
夜啼き荒神祭 祭壇

2月14日(土)夜啼き荒神社(当社の所管社)の例祭を社務所を斎場にして執行致しました。当社は子供の夜啼きや虫封じの神様として氏子を中心に厚く崇敬されています。

夜啼き荒神社
夜啼き荒神社

社務所での祭典を済ませると一同で境内に鎮座する夜啼き荒神社に参拝致します。当日は関東を中心に大雪となりましたが、日南町も雨交じりの雪に風を伴った悪天候でした。

参拝後、社務所で和やかに直会を致します。

御神徳を慕う一般参拝者は年間を通していらっしゃいますが、かつては12戸を数えた氏子も過疎化が進み、現在は当家を含めて5戸にまで減少しています。

新年合同会議

新年合同会議 庁長挨拶
新年合同会議 庁長挨拶

2月13日(木)神社庁の新年合同会議が倉吉市の「ホテルセントパレス倉吉」にて開催されましたので出席致しました。この会議は神社庁役員・各支部長・各地区総代会長・神政連役員が一堂に会して今年の行事日程の確認や25年度の神宮大麻頒布実績の報告を受ける会議です。神社庁長と県神社総代会長の挨拶の後、議事に入り斯界の更なる発展にむけた有益な意見が交わされました。

紀元祭と日南町統一建国祭

紀元祭 祝詞奏上
紀元祭 祝詞奏上

2月11日(火)午前7時、紀元祭(併せて橿原神宮遥拝)を斎行して神武建國2674年の偉業を偲び、国の繁栄と皇室のご隆昌、世界の恒久平和を祈念致しました。建国記念の日は日本書紀が記す人皇初代の神武天皇が橿原の宮にてご即位なさった日を明治6年に建国の紀元として定めた事に由来する祝祭日です。この日、天皇陛下には宮中の三殿に出御され臨時のご拝礼をなさっておいでと承ります。また大祭が斎行される橿原神宮には勅使をご差遣なさいます。

日南町統一建国祭 斎主挨拶
日南町統一建国祭 斎主挨拶

午前9時、生山自治会館に於いて「日南町統一建国祭」が町内の神職5名の奉仕により斎行されました。神武天皇と町内に鎮座する全ての神社の神々を神籬にお招きして執行され、主催者の日南町神社総代協議会長を始め町内各神社の総代・日南町長・県会議員・町会議員・神社庁理事・神社庁日野支部長・各種団体の代表者など60数名が参列致しました。

来賓祝辞 日南町長 
来賓祝辞 日南町長 

神事に続く奉祝式典では「国歌」と「紀元節の歌」の斉唱など開会儀礼の後、日南町神社総代協議会長の挨拶・来賓の祝辞と続きました。私も神社庁日野支部長として祝辞を述べさせて頂きました。閉会後の直会では地元の生山神社総代会のお世話により料理やお酒が用意され、和やかに会食をして「建国記念の日」を祝いました。

初登庁

雪景色の神社庁
雪景色の神社庁

2月5日(水)「支部編成に関する委員会」に出席する為、神社庁に出張致しました。会議は午前10時40分の開会ですので、早朝に神社を出発して昨日からの雪が降り続く中、車で3時間をかけての今年の初登庁です。

節分祭

節分祭 本殿の追儺
節分祭 本殿の追儺

2月3日(月)午前7時、節分祭を斎行致しました。雪深い当地では参拝者を集めて賑やかに追儺式をする神社は有りません。当社の追儺式は祭典後、宮司が鬼打ち豆を本殿に向かって「福は内ち」と三度唱えて打ち撒き、引き続き拝殿の正面縁から境内に向かって「鬼は外」と三度唱えて打ち撒く事で終了となります。夕刻から夜にかけて代宮家や氏子の家々で豆撒きが行われます。

玉串と鬼打ち豆
玉串と鬼打ち豆

節分とは季節の始まり(立春・立夏・立秋・立冬)の前日を指し、江戸時代以降は特に立春の前日を節分と言うようになりました。節分の豆撒きは元々、宮中行事で季節の変わり目に生じる疫病などの邪気を駆逐する追儺(厄払い)の行事です。邪気を鬼に見立てて豆を投げる行為は穀物に宿る霊力と打ち投げた時に発する音により邪気を祓い福を招き入れる効果があると言われています。

月次祭

月次祭 龍笛を奏す
月次祭 龍笛を奏す

2月1日(土)午前7時、月次祭を斎行致しました。当社は春秋の大祭を除く恒例の祭典には龍笛を独奏して奏樂とします。曲目は出雲神樂の中から1曲を選んで奏する事にしています。

朝の境内
朝の境内

予想された大雪は現在のところ左程でもなく、40~50㎝降り積もると10日間くらい中休みをして、また40~50㎝降るを繰り返している感じです。この時期に地面が露出する事は当地では珍しい事です。

荒神祭

宮坂荒神祭の祭壇
宮坂荒神祭の祭壇

立春が間近になると小部落の荒神祭が始まります。この日(1月28日)は、珍しく当屋宅を斎場としての執行です。当地には春の足音はまだ聞こえませんが、田畑の準備を始めるにあたって荒神様を祀り、豊作と良好な天候等を祈念致します。荒神祭には竹串を持ち寄って荒神幣を奉製し、各自が数本を持ち帰る事から「幣はぎ祭り」とも称します。

神饌は白米と酒のほか玄米や餅、海魚・野菜・果物・甘酒などが適宜加わります。また稲わらを数本束ねた物に粉団子を数個くっ付けた「藁すぼ」と呼ぶ特殊な神饌をお供えする小部落もあります。(写真の右端に藁すぼ)

ふくらしの玉串
ふくらしの玉串

当地の氏子は荒神様や山神様などのお祭りに真榊の代用として「ふくらし」(別名 そよご・モチノ木科の常緑樹)を多用します。11月頃になると赤い実をつけ、色合いが良いので玉串や大麻、祭壇の飾りなどにしますが、神社の公式な祭典では鳥居や随神門などに1対の装飾として用いる以外には使用しません。

用語解説 大麻はお祓いに使用する代表的な神具で、真榊の枝や白木の棒に紙垂や麻苧を付けたもので、白木の棒で作られたものは祓串(はらいぐし)とも称する。

日待祭

日待祭の祭壇
日待祭の祭壇

1月23日(木)午後7時、木山代宮家の日待祭を斎行致しました。日待祭は一族や部落内の者が当屋に集合し、物忌・潔斎をしながら夜明かしをして日の出を待ち、季節の変わり目に来臨する神を迎える信仰がその古儀だと伝わっています。
私の氏子管内(兼務社も含めて)では日待祭の斎行を依頼される事はありませんので、唯一当家にのみ残った神事となりました。

 

用語解説 代宮家(よこや)とは出雲・伯耆の方言で、代々の社家(神職の家)の事。

日待祭夕べの祭り
日待祭夕べの祭り

木山代宮家の日待祭は夕べの祭り(23日夜)・朝(あした・24日朝)の祭りの2回の神事を執行します。夕べの祭りには家族が参列しますが、朝の祭りはそれぞれに拝礼を済ませて各々の勤めや学業に向かうため参列はありません。
例年は坐礼で執行していますが今年は事情により立礼で奉仕致しました。

 

古神札お焚上祭(とんど祭)

古神札お焚上祭
古神札お焚上祭
とんど祭 清祓
とんど祭 清祓

とんど祭 火入れ
とんど祭 火入れ
とんど祭 焚上
とんど祭 焚上

とんど祭 豚汁の振舞い
とんど祭 豚汁の振舞い

1月18日(土)古神札お焚上祭(とんど祭)を総代会長ほか代表者が参列して厳粛に斎行致しました。拝殿での神事の後、氏子崇敬者等が1年間お祀りしたお神札、お正月の松飾や注連縄などを持ち寄って境内の斎庭でお焚上致しました。

とんど祭りは本来、小正月(1月15日)に行われる民俗行事で左義長(さぎちょう)とも呼ばれ、正月の門松や注連縄飾りによってお迎えした歳徳神を、舞い上がる炎と共にお見送りする行事です。とんど祭には餅・するめ・蜜柑等を持ち寄って飲食しますが当社は加えて氏子婦人4名による豚汁と青竹の燗酒の振舞いがなにより喜ばれています。今年は地元ケーブルテレビの取材も有りました。

山神祭の始まり

上の谷 山神祭の祭壇
上の谷 山神祭の祭壇

11日~13日の3連休は毎日、山神祭を奉仕しました。本来は正月9日を山の神を祀る祭日としていましたが近年は9日以降の土日(どにち)に祭日を変更し、当屋宅よりも公民館などを斎場とするようになりました。
年明けから9日までは山の神が管轄される御山の立木の本数を数えて廻られるので、9日以前に入山すると入った人間も立木として本数に数えられてしまい、山から帰れなくなると戒められています。

山神祭の直会
山神祭の直会

神事が終わると新年会を兼ねた直会をして和やかに歓談致します。写真の上の谷の山神祭には男性を上回る人数の山の神(ご婦人)が参列されました。

近年は氏神様より更に身近な山神様や荒神様の祭壇の写真を、縁起を担いで携帯電話の待ち受け画面にする方々もいらっしゃいます。

兼務社の正月飾りの撤収

多里神社の正月飾り撤収
多里神社の正月飾り撤収

1月7日(火)兼務社の多里神社と福榮神社の正月の飾りを撤収致しました。この2社には午前中に参向して輪注連縄や鏡餅、装飾神具等を撤収して通常の仕様に復旧しました。

当社は11日の午前中に撤収する予定です。

関東地方を中心に多くは正月7日を松の内明けとしていますので、近年多里神社・福榮神社はその習慣に従い、当社はこの地域の習慣に従い11日を松の内明けとしています。その他の兼務社については総代会によって適宜撤収して頂いてます。

兼務社の初神樂

菅澤神社 初神樂
菅澤神社 初神樂
印賀 樂樂福神社 初神樂
印賀 樂樂福神社 初神樂

熊野神社 初神樂
熊野神社 初神樂

俗に坊主正月と称される4日には、少し遠方の兼務社3社に参向致します。正月も4日を過ぎての歳旦祭は憚られますので初神樂を奏して拝礼する事にしています。道路の凍みが緩み始めた午前9時30分には社務所を出発して菅澤神社・印賀 樂樂福神社・熊野神社の順で巡拝致しました。

兼務社の歳旦祭

福榮神社歳旦祭
福榮神社歳旦祭

元旦の午前7時には、社務所を出発して福榮神社に参向し午前7時30分頃、歳旦祭を斎行致しました。年越し前には総代会長が出夫して、社殿の点灯と破魔矢・お神酒などを乗せた机を賽銭箱の横に設営して頂きました。

初詣参拝の方々には思い思いに破魔矢を受けたり、お神酒を頂いてもらいます。

多里神社歳旦祭
多里神社歳旦祭

福榮神社の参向に引き続き、凍結中の道路を慎重に移動して多里神社で午前8時30分頃、歳旦祭を斎行致しました。年越しには総代会長以下役員の方々に午前零時より午前2時頃まで勤番をして頂き、破魔矢・交通安全守・干支盃の頒布とお神酒の授与などをして頂きました。

 

正月三が日は、朝方に福榮神社と多里神社に参向して拝殿の扉を開扉し、夕方には閉扉する為に再び参向致します。

謹賀新年 招徳以福  歳旦祭(元旦) 初日供祭(2日) 元始祭(3日)

年越しの社殿
年越しの社殿

甲午歳の新春を迎え謹んで新年の賀詞を申し上げます。

年末の28日以降は降雪もなく穏やかな年明けとなりました。平成26年元旦、吐く息も白く、氷点下になった深夜の境内です。

歳旦祭
歳旦祭

平成26年元旦の午前零時、歳旦祭を斎行して新年を寿ぎ、聖寿の万歳と皇室の弥栄、国家の繁栄と国民氏子崇敬者の安寧を祈願致しました。総代会長・同副会長の2名が昇殿して参列致しました。

 

繁紋冠に赤輪無し唐草紋の小直衣、紅単、紫差袴を着用

本殿開扉
本殿開扉

当社の正月三が日は春秋の大祭と同様に本殿の御扉(内陣の御扉の開扉は元旦のみ)・若宮神社・木野山神社・彰徳殿の御扉も終日開扉して恒例の祭典や新年祈祷を執行致します。(但し降雪など天候により若宮神社・木野山神社は閉扉する場合があります。)

 

近年は氏子の老齢化と少子化により、凍結した路面の歩行を心配して夜中の参拝は本当に少なくなり、夜が明けて凍みが緩む9時頃からのお参りが多くなりました。

 

初日供祭 神饌
初日供祭 神饌

1月2日(木)午前7時、初日供祭を斎行し甲午歳の最初の日供神饌をお供えして、皇室や国家国民の安泰と1年間の全ての祭祀の恙ない奉仕が叶うよう祈願致しました。

元始祭・玉串拝礼
元始祭・玉串拝礼

1月3日(金)午前7時、元始祭(げんしさい)を斎行致しました。元始祭は新暦1月3日に天皇陛下が宮中三殿において「皇位の元始」を祝ってご親祭になり御告文(おつげぶみ)を奏し給う神事です。全国の神社も宮中に倣って皇統の大元始(おおもとはじめ)を言祝ぎ奉るお祭りを斎行致します。

 

初日供祭・元始祭は共に遠紋冠に白無紋小直衣、白差袴を着用

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