当社の祭礼神事、季節の出来事などをブログ風にお伝えして参ります。
全ての写真はクリックすると拡大します。
4月30日(火)午後7時(例年は午後6時)宵宮祭を斎行して明日の春季大祭の全ての祭事が恙なく斎行出来るよう祈念を致しました。天気予報では終日雨模様のようで神幸式の執行が危ぶまれます。
4月29日(月)日供祭に併せて武蔵野御陵遥拝式を執行して昭和天皇の御遺徳を御偲び申し上げました。
昭和天皇御製
「あめつちの神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波立たぬ世を」
大祭典がはじまる午後2時頃には曇り空となりましたが、子供神輿はお祓いを受けて元気に神社を出発しました。
4月28日(日)菅澤神社の春季大祭を斎行致しました。快晴の日和となり午前10時の大祭典執行を待たずに参拝が始まり、午前中にはほとんどの氏子の方々がお参りを済まされました。早めに参拝を終えて午後からは農作業に従事されるのでしょう。 日野の神々の春祭り
当社は今年役員の改選があり新任の総代会長が就任されました。5人の総代の中で4人の方が新任の総代さんです。総代会長は大祭典の中で氏子祈願詞を奏上する大役が有り、やや緊張された様子でしたが立派に奏上されました。
連日の春祭りの奉仕で忙しくしている間に黄緑色の花をつける桜が満開になりました。 黄緑色の花をつける桜には御衣黄(ぎょいこう)という種類が有りますがそれでは無いようです。たぶん鬱金(うこん)桜だと思います。
4月25日(木)多里神社の春季大祭を斎行致しました。春らしい快晴の日和の中、宮司ほか2名の助勤神職の奉仕により総代会長以下役員・総代・来賓が参列して厳粛に斎行致しました。 日野の神々の春祭り
平日でも天候に恵まれた日は、皆さん田畑の作業の方が気になりますが繰り合わせてご参列頂きました。
天候が不順が続く此の春ですが今日までの経験を十分に生かして万端な対策をなさり秋の豊穣を得て頂きますようご挨拶致しました。
大祭典に先立ち祈願祭も斎行致しました。
4月20日(土)美用神社の春季大祭を奉仕致しました。今にも雨が降り出しそうな天候でしたが総代会長以下8名が参列して厳粛に斎行致しました。 本来は22日が祭礼日なのですが諸般の都合でやむなく本日に変更して執行致しました。日野の神々の春祭り
美用の手前、南大山観峰展望駐車場から眺めた大山です。春が盛りの季節なのですが今年は気温が低い日が多い為か大山も雪が所々残っています。
4月18日(木)大石見神社の春祭の助勤奉仕に伺いました。好天に恵まれ厳粛に大祭典が斎行されました。 恒例の敬老祭も併せて執行されました。日野の神々の春祭り
大石見神社の境内には富貴草(ふっきそう)が自生して白い花を咲かせていました。常緑の植物なので厳しい冬の寒さでも常に艶めいた緑の葉を絶やす事は有りません。
4月8日に着工した参道整備工事が竣工致しました。地元の㈲澤田建設からコンクリート(生コン)のご奉納を頂き、総代会長が経営されるキヌタニ工業の職人達の施工により見事に仕上がりました。 尚、先の車参道の修繕工事のコンクリートも同社からご奉納頂きました。
8日早朝より参道の整備工事が着工されました。まず生コンを流し込む為の型枠の施工が始まりました。 当分の間、この区間は通航止めです。
型枠に生コンを投入して手早く作業を進めます。
箒で刷毛目を付けたり、鏝(こて)を使って整形したりと、素早くしかも美しく仕上げなければなりません。
綺麗に成形されました。2・3日かけてコンクリートを乾燥させます。
数日の乾燥期間の後、愈々型枠を撤収し最終仕上げの作業をして竣工です。
好天が続き八重桜が満開になりました。 昨年より1週間早く満開を迎えました。
4月15日(月)根雨神社の春祭の助勤奉仕に伺いました。氏子の女性による浦安の舞の奉納もあり華やいだお祭りとなりました。日野の神々の春祭り
根雨神社の本殿背後には影面岩(かげともいわ)と称される磐座が控え、ほぼ直方体の柱状石の対角線が真南を指す古代祭祀の一端を伝えています。
今年は氏子小学生による浦安の舞が奉納され、祭典に華を添えました。 祭典後には初節句の祈願祭が斎行されました。
4月8日に咲き出した八重桜が数日の寒い日を経てようやく見頃になりました。15日頃には満開の写真が撮れそうです。
4月12日(金)熊野神社の春季大祭を奉仕致しました。旧3月3日が例祭日の境内には昨日の降雪が残っていました。日野の神々の春祭り
4月9日(火)江府町の御机神社の春季大祭を奉仕致しました。
総代など6名が参列して厳粛に斎行致しました。写真は同社の拝殿の彫刻です。正面は波の上を駆ける麒麟、左右の唐獅子と獏(バク)、しめ縄に隠れていますが透かし彫りも見事です。 日野の神々の春祭り
遅咲きの赤い椿の花が咲き始めました。今年も美しい容姿を誇っています。去年に比べ10日も早い開花です。品種は千重咲きの赤角倉(あかすみのくら)だと思います。
毎年4月の第1日曜日には兼務社の菅澤神社で荒神祭を斎行致します。この荒神様は、かつて秋原部落内で祀られていましたが近年に氏神様である菅澤神社の本殿に合祀されました。こういったお祭りは集会所等を斎場にする事が多くなりましたが、神社本殿に合祀しての祭典執行はこの荒神様しかありません。 また、理由は伝わっていませんがこの荒神様にお供えする玉串は樅(モミ)の木の枝を使用する事になっています。
当地方の荒神祭は別名「幣はぎ祭り」と称して沢山の御幣を供えます。秋原荒神は7戸の氏子で100本余りの御幣を奉製致します。
祭典終了後、拝殿で直会をして和やかに歓談致します。 前日の猛烈低気圧の影響で冷たい雨が降り、気温も低いままでしたのでストーブを着けて熱燗にして頂きました。
コンクリートの乾燥待ちの為、4月2・3日と中断していました鬼石の設置工事が再開されました。パワーショベルで釣り上げて慎重に設置します。
午前中には設置作業が完了して、午後1時から清祓い式を執行致しました。この鬼石の設置費用の全てを負担して頂いた日野上まちづくり協議会の会長・同副会長・同事務局長・同委員や工事を施工したキヌタニ工業の職人など9名が参列されました。
地元ケーブルテレビのチャンネル日南も取材に駆けつけました。
この石は、鬼林山(きりんざん)に陣取る鬼が、対峙する孝霊天皇の軍勢にめがけて鬼林山から投げたとされる石塊です。一抱えもある石に残る鋭い溝は鬼の爪痕と伝わっています。数日後には説明の看板も設置致します。
4月1日(月)午前7時、恒例の月次祭を斎行致しました。新年度を新たな想いで迎えた方も多いと思います。今年は5月10日の出雲大社の大遷宮と10月2日・5日の伊勢の神宮の式年遷宮が麗しく斎行される目出度い年です。新社会人の方々を始め皆様方に尊い神々のご加護がございますよう祈念致します。
新年度の始まりは良い天気になりました。境内の桜の開花はしばらく先のようです。
3月30日(土)に奈良県大和高田市よりご参拝頂いたご夫妻から靴下10足(黒5足・グレー5足)をご奉納頂きました。このご夫妻は繊維関係の会社を経営されている方で商売繁盛を願って自社製品の靴下を持参されました。早速、翌日の日供祭に併せてお供えさせて頂きご奉告申し上げました。ご参拝の方々からご奉納頂く機会は少なくありませんが御酒や食品がほとんどです。今回は大変珍しい奉納品となりました。
例年より2週間以上早く連翹が開花して黄金色の花を咲かせています。西洋では「ゴールデンベル」と呼ぶそうです。黄金色の花が鈴なりに咲いて金運上昇の希望を叶えてくれそうです。
花言葉 叶えられた希望
車参道修繕工事と並行して鬼石の設置作業も始まりました。この鬼石は鬼林山に陣取る鬼が対峙する孝霊天皇の軍勢にめがけて投げたと伝わる石塊です。
この鬼石には鬼の爪痕のような溝があり鬼伝説の一端を伝えています。
設置工事に伴い、手始めに設置場所にある切り株の撤去作業が始まりました。
切り株を撤去した穴に砕石を投入して整地作業をします。
型枠を組み、鉄筋も入れ、砕石とコンクリートを投入します。
作業も順調に進み、鬼石を据える基壇の工事に入りました。
金・土・日と中断していた作業が4月1日(月)に再開されました。2日・3日はコンクリート乾燥の為、再び中断し完成は4月4日(木)の予定です。
近年、県内外からの参拝者増加により車の往来が激しくなり車参道の未舗装部分が、えぐれて通行に支障が出て来ましたので修繕工事をする事になりました。
砕石を敷き整地をして、コンクリートで舗装します。
生コン車がやって来ました。
生コン車が吐き出すコンクリートを素早く広げる作業が4人がかりで始まりました。
順調に作業が進んでいます。工事完了も間近です。
車参道の一部修繕工事の完了です。2日間ほど車参道を通行止めにしてコンクリートを乾燥させます。参拝者の皆様にはご不便をお掛けしますがご容赦下さい。
3月23日(土)西部青年神職会が主催する神道行法練成研修会に道彦として指導にあたりました。
会場の瀧山(たきやま)神社は三保津姫命(みほつひめのみこと)大日孁貴命(おおひるめのむちのみこと)誉田別命(ほんだわけのみこと)大山祇命(おおやまづみのみこと)・猿田彦命(さるたひこのみこと)を祀り、社殿の右側の背後には禊場となる龍王瀧が流れています。
用語解説 道彦(みちひこ)とは禊行法の指導をする者。
開講式・行法の演習(説明)の後、神拝行事を致します。
本年は西部青年神職会の会長以下4名の参加で例年より少なめでしたが、禊練成に臨む気合は十分です。
禊場となる龍王瀧は小泉八雲の「骨董」にも登場する神秘の瀧です。
水量が増える梅雨の時期の龍王瀧は龍が体をくねらせて天空に登るかのような美しさです。
瀧山神社の境内は滝山(たきさん)公園として良く整備され、ミツバツツジ・紅葉の景勝地として季節には多くの観光客で賑わいます。
神拝行事をすませると直ちに脱衣をして龍王瀧に向かいます。
落差70mから流れる霊水は3月の下旬とはいえ身を切るような冷たさで私達を歓迎してくれました。
龍王瀧に到着すると祓詞を奏上の後、鳥船(とりふね)・雄健(おたけび)・雄詰(おころび)・気吹(いぶき)などの行事をして邪念を祓い気力を奮い立たせます。
御瀧の中に参入して着座、大祓詞を一同で斉唱致します。
大祓詞奏上の後、各自が瀧壷に進み瀧水の飛沫を浴びて身滌を致します。
身滌が終わると退下して鳥船・雄健・雄詰・気吹の各行事をして目出度く納めとなります。
今日の神道行法練成研修会の開催にあたり瀧山神社の総代の方々には早朝より出夫をして頂き、境内の清掃と焚火のご奉仕をして下さいました。
総代の方々のお心遣いに衷心より感謝申し上げました。
4月になると春祭が始まります、研修会に参加した青年神職達は清々しく浄まった心と身体で祭祀をご奉仕する事でしょう。
世間では桜の開花が伝えられていますが当社では椿の開花が始まりました。
三寒四温の日々ですが日増しに春らしくなって来ました。 品種は不明。
神道の家では彼岸の中日に祖霊祭を斎行して、祖先の御霊を祀ります。
また宮中では春季皇霊祭が斎行され、皇霊殿に奉斎された御歴代の天皇と皇族の御霊を今上陛下がご親祭なさいます。
御霊祭を済ませると家族揃って奥津城に参拝を致します。
用語解説 神道の家はお墓の事を奥津城(おくつき)と尊称致します。
3月17日(日)兼務社の福榮神社の氏子区域内にある高代部落(24戸)のお祭りを奉仕致しました。
このお祭りは集落の荒神様・地神(ぢしん)様・愛宕様を一斉にお祀りして氏子の五穀豊穣と家内安全などを祈念致します。
いよいよ農作業を始めるこの時期に集落が揃ってお祭りをして懸命に五穀豊穣を祈った伝統が残っています。
集会所での神事を終えると更に氏子と共に荒神様・愛宕様・山神様・地神様(石碑)の順序で、神社がある現地に向かい簡略な神事を執行致します。
地神(ぢしん)様については様々な解釈もありますが当地の地神様は春の彼岸に近い戌の日にお祀りをしたと伝わっていますので、おそらく天照大神(農業祖神)大巳貴命(五穀護神)少彦名命(五穀祖神)埴安姫命(土御祖神)倉稲魂命(穀霊祖神) の五柱の神がご祭神ではないかと考えています。
現在は春の彼岸に近い日曜日がお祭りの日となりました。
現地の巡拝を済ませて集会所に戻りますと直会の準備が整っていました。
集落のご婦人方が腕を振るった沢山のお料理が机上に供されます。
東日本大震災より2年の歳月が重なる今日は、日供祭に併せて大祓詞を奏上し、犠牲になられた多くの御霊や、いまだ行方不明の方々に対して謹んで追悼の誠を捧げ、被災地の1日も早い復興と被災された全ての人々に1日も早く平安な日々が訪れる事を祈念致しました。
政府主催の東日本大震災2周年追悼式が東京都千代田区の国立劇場で営まれ、天皇・皇后両陛下ご臨席のもと安倍首相ら三権の長と犠牲者の遺族代表、外国大使ら約1200人が参列しました。
また岩手・宮城・福島の3県をはじめ全国各地で2周年の追悼行事がおこなわれ、日本中が鎮魂の祈りに包まれました。
3月3日(日)~3月5日(火)2泊3日の日程で伊勢神宮参拝旅行に行って参りました。
第33回を数える神社庁日野支部と日野郡神社総代会共催の神宮参拝旅行には管内の神職・総代や氏子148名の参加を得て地元の日の丸バス4台に分乗して出発致しました。
出発前には蒜山SAで役員・添乗員・乗務員が揃い結団式を致します。
途中、関ドライブインで昼食をとり、午後2時30分頃には外宮に到着しました。参加者全員が御垣内に参入させて頂き正式参拝を致しました。
御垣内参拝に引き続き外宮の神楽殿では御神楽を奉納させて頂きました。
参加者の個人祈祷も受付けて頂き、典雅な神楽舞や舞楽が捧げられ、暫し神代の手振りに浸りました。
外宮の参拝を終えると二見浦に向かい、二見興玉神社の自由参拝と夫婦岩の見学を致します。好天の波穏やかな二見浦でした。
この後は定宿の鳥羽シーサイドホテルに向かいます。
宿に入るとお風呂を浴びて、宴会場に集合します。
総勢148名の大宴会です。
宴会に先立ち支部長としてご挨拶をさせて頂きました。
参加者の中には芸達者な方が数名おられ余興として演芸を披露されました。
衣装も自前の「安来節」の熱唱です。
「どじょうすくい」も始まり会場は大変な盛り上がりでした。
こちらも衣装と道具一式自前です。
翌日、早々に朝食をすませると午前8時にホテルを出発し内宮に向かいます。
外宮と同様に御垣内に参入させて頂き正式参拝を致しました。
内宮の御垣内参拝をすませると岩戸屋で休憩をかねての自由行動です。
皆さん沢山のお土産を求めていらっしゃいました。
写真は宇治橋前の鳥居です。鳥居と鳥居の影の中に日の丸バスのガイドさんも写りこみ綺麗な写真になりました。
午前10時30分には伊勢の地を発って淡路島に向かいます。途中、信楽で昼食をとり淡路七福神・大黒天を祀る八浄寺の参拝と僧侶の法話を聞きました。
僧侶の法話は大黒様の御利益について面白おかしく軽妙な語り口で、セールストークも絶妙でした。
見習いたい事が多い法話でした。
日程2日目のお宿は洲本温泉のザ・サンプラザです。
宴会に先立ち多年参加者(20回・17回・13回・10回・5回)の表彰式がおこなわれ日野郡神社総代会長より感謝状と記念品が贈呈されました。
今回は計19名の方々が栄に浴されました。
昨夜に引き続き宴会には余興が行われ鳥取県の芸能である「シャンシャン傘踊り」や「銭太鼓」が披露されました。
もちろん衣装と道具は自前です。
余興のあとはカラオケ大会となり参加者の皆さんが自慢の「のど」を披露されました。
最終日は朝食後、午前8時30分にホテルを発ち、自凝島(おのころじま)神社に向かいます。
この神社は、記紀神話由来の「おのころ島」(兵庫県南あわじ市)に伊弉諾命・伊弉冉命を主神としてお祀りして、国土創世の地に鎮座する神社として崇敬されています。写真の大鳥居は日本有数の巨大さを誇っています。
おのころじま神社参拝のあとは徳島県に移動して四国八十八ケ所一番札所の霊山寺を参拝し僧侶の法話を聞きました。この寺は遍路巡拝の「発願の寺」として有名です。
昼食をナカノヤ高松でとり、旅行最後の日程、法然寺(香川県高松市)を自由参拝致しました。この寺は法然の作と伝わる阿弥陀如来立像を本尊としてお祀りしています。
平成23年1月には美しい五重塔が建立されました。
法然寺の参拝で全ての日程を終了し帰路に就きました。
午後5時30分頃には蒜山SAに到着し役員・添乗員・乗務員揃って解散式を行いました。
3月1日(金)午前7時、恒例の月次祭を斎行致しました。
今朝は午前6時30分の気温も9℃と大変暖かく南風も吹いています。
北海道や東北地方は大変な積雪と報道されていますが、西日本の豪雪地帯である当地方は、今年は年明けからの積雪も大変少ない冬でした。
3月とはいえ地面がこれほど露出する事はめずらしい事です。
3月早々に蕗の薹(ふきのとう)が顔を出しました。昨年に比べ約2週間も早く境内で見つけました。
山里に春の訪れを告げる山菜です。
「春の皿には苦みを盛れ」と言われますが、ほろ苦い蕗の薹は天ぷらやふきのとう味噌にします。葉の部分をさっと水洗いして生のまま細かくきざみ熱々の味噌汁の薬味として入れ春の香りを楽しむのもお奨めです。
2月27日(水)神社庁の神殿祭に支部長として参列致しました。 (昨年までは協議員として参列)
神殿祭は一般神社の例祭に相当する大切な神事で、斎主を神社庁長、副斎主を神社庁主事が務め、若手神職3名が祭員を奉仕して厳粛に斎行されました。
県内の神職や総代の代表者40数名が参列致しました。
用語解説 例祭とは神社に於いて1年に1度執行する最も重要な祭祀 斎主とは祭祀を司る者。
神殿祭の終了後、神社庁長表彰の授与式が執り行われ功績ある神職や総代、11名に表彰状と記念品が授与されました。日野支部からは神職1名・総代1名が表彰の栄に浴されました。
直会は鳥取市内のホテルニューオオタニに会場を移して和やかに執り行われました。
午前9時、生山自治会館に於いて日南町神社総代協議会の主催により「日南町統一建国祭」が町内の神職5名の奉仕により斎行されました。
神武天皇と町内全ての神社の神々を神籬にお招きして執行され、町内各神社の総代を始め日南町長・町会議員・神社庁理事・神社庁日野支部長・各種団体の代表者など多数の参列がありました。
神事に続く記念式典では「国歌」と「紀元節の歌」を一同で斉唱し、主催者の日南町神社総代協議会長の挨拶の後、来賓の方々の祝辞と祝電の披露がありました。
私も神社庁日野支部長として祝辞を述べさせて頂きました。
直会では生山神社総代会のお世話により料理や酒が用意され一同和やかに会食して「建国記念の日」を祝いました。
2月11日(月)午前7時、恒例の紀元祭を斎行致しました。
神武建國2673年の偉業を偲び、我が国の繁栄と皇室のご隆昌、世界の恒久平和を祈念致しました。
日南町の各神社の紀元祭は早朝に神職のみで斎行し、総代等の参列はありません。
その代わりに生山自治会館に於いて「日南町統一建国祭」を挙行して町内各神社の総代が一堂に会して参列致します。
日本書紀に記された神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)即ち初代「神武天皇」が橿原の宮にて即位された日を明治6年に建国の紀元として定めた祝祭日です。
この日、天皇陛下は宮中の三殿に臨時の御拝をなさっておいでと承ります。
また、大祭が斎行される橿原神宮に勅使をご差遣になります。
2月9日(土)所管社の夜啼荒神祭を社務所で斎行致しました。
今年の当屋は普段は大阪にお住まいですが帰省をして当屋の務めを果たされました。
社務所での神事に引き続き境内の夜啼荒神社に揃って参拝致します。
木山代宮家を含む5戸の氏子により和やかに直会です。
此の夜啼荒神さんは、その名が示す通り子供の夜泣きや虫封じに御利益がある子育ての神様としても崇敬されています。
2月3日(日)午前7時、恒例の節分祭を斎行致しました。
節分とは四季の季節の始まり(立春・立夏・立秋・立冬)の前日を指し、江戸時代以降は特に立春の前日の事を節分と言うようになりました。
当社は歳旦祭・月次祭・日供祭以外の小祭には遠紋冠・白無紋小直衣・白差袴を着用して奉仕致します。
節分の豆撒きは元々、宮中行事で、季節の変わり目に生じる疫病などの邪気を駆逐する追儺(厄払い)の行事です。
邪気を鬼に見立てて豆を投げる行為は穀物に宿る霊力と打ち投げた時に発する音により邪気を祓い福を招き入れる効果があると言われています。
雪深い日野郡では参拝者を集めて賑やかに節分祭をする神社はありません。
当社の節分祭も宮司が神事を奉仕するのみです。
夜になると代宮家や氏子の各家で豆撒きが行われま
鬼にかかわる伝説は各地に残っていますが、当社のご祭神である大日本根子彦太瓊尊(孝霊天皇)が退治された鬼は、鉄を作る技術者の集団であったと考えられます。鬼は力強い者の象徴ですが、鉄を作る人達は当時の社会に強い影響力を持っていた事は容易に想像できます。鬼の姿といえばトラの皮の下穿きを付けた真っ赤な顔を想像しますが、熱い溶鉱炉の炎の前で立ち働く、古代の製鉄技術者の姿にも重なります。
「鬼に金棒」という言葉も何か意味ありげなことわざです。
2月1日(金)午前7時、恒例の月次祭を斎行致しました。
当社の月次祭には米・酒 塩 水・海魚又は卵など・野菜・果物の5台を神饌としてお供え致します。
そのほか、ご奉納頂いた即席麺・駄菓子・清涼飲料・調味料なども御供物としてお供え致します。
例祭日の5月1日を除いて毎月1日に斎行する月次祭には立烏帽子・狩衣・差袴を着用して奉仕致します
恒例祭・臨時祭の日を除いて毎日斎行する日供祭には立烏帽子・格衣・差袴を着用して奉仕致します。
除雪した参道とはいえ、この時期にはっきりと路面が露出するのは珍しい事です。
気温も2℃と比較的暖かい朝です。
当地方では立春が間近になる頃から小部落単位の荒神祭が始まります。
うららかな春はまだ遠くても田畑の準備を始めるにあたり荒神様を祀って豊作や水の恵み等を祈ります。
氏子は当屋宅のほか公民館・社務所等に竹串を持寄って荒神幣を奉製して祭壇に供えます。
荒神祭に併せて水神幣や地主神幣(高幣)等、沢山の幣を奉製する小部落も多く、幣はぎ祭りとも称します。
荒神様には白米・酒のみを神饌とする小部落もあれば白米・酒の他に玄米・餅・魚・野菜・果物等とりどりの物を神饌としてお供えする小部落など様々です。
また、これらの神饌の他に稲藁を数本束ねた物に粉団子を数個くっ付けた特殊な神饌をお供えする小部落を多く見受けます。
1月23日(水)午後7時、木山代宮家の日待祭を斎行致しました。
日待祭は一族または部落内の者が予め定めた当屋に集合して、前夜より物忌・潔斎をなして日の出を待ち、季節の変わり目に来臨する神を迎える信仰がその古儀であると伝わっています。
用語解説 代宮家(よこや)とは出雲・伯耆の方言で代々の社家を務める家の事。
木山代宮家の日待祭は夕べの祭りと朝(あした)の祭りとして2回の神事を執行致します。
夕べの祭りには代宮家の家族一同が参列致します。
また、朝の祭りは翌24日午前7時45分に斎行致しますが、家族は早朝にそれぞれ拝礼を済ませ各々の勤めや学業に向かいます。
1月19日(土)古神札のお焚き上げ祭(とんど祭り)を斎行して、1年間お祀りしたお神札、お正月の 松飾りやしめ飾り等を氏子が持寄りお焚き上げ致しました。
とんど祭りは本来、小正月(1月15日)に行われる民俗行事で「どんど・どんと」または左義長とも呼ばれ、正月の門松やしめ飾りによってお迎えした歳徳神を、それら正月飾りを焼き清める事によって舞い上がる炎と共にお見送りする行事です。
殿内での古神札お焚上祭の後、斎場に移動して本殿よりお下げした忌火を点火致します。
氏子婦人有志の方々による豚汁の振る舞いは毎年の樂しみです。とんどが一段落すると青竹にお神酒を入れて残り火で燗をして皆で頂きました。
林業が栄えた当地方では正月9日を迎えると小部落の単位で山神祭が斎行されます。
本来は正月9日を山神の祭日として執行されていましたが近年は9日以降の土日(どにち)に祭日を変更する事が多くなりました。
年明けから9日までは山神が立木の本数を数えらるので、9日以前に山に入ると人間も立木として数えられてしまい、山から帰る事が出来なくなると伝わっています。
山神祭は、近年まで当屋宅に祭壇を設えて執行していましたが、この頃は公民館を斎場にする事が多くなりました。
また山神祭に併せて荒神祭を斎行する事も多く見受けられます。
林業従事者が減少して、祭日や斎場も変更されましたが山の恵みに感謝して小部落の安泰を祈る伝統儀式は受継がれています。
当地方は、11日の午前中に正月のしめ飾り等を撤収して日常の生活に戻ります。
今年は寒さこそ厳しのいですが元旦からの降雪は少なく、除雪の苦労も今のところ軽微です。
今日は境内から青空も望むことが出来る穏やかな日です。
1月3日(木)午前7時、元始祭を斎行致しました。元始祭は新暦1月3日に天皇が宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)において「皇位の元始」祝ってご親祭になり御告文を奏し給う神事です。
全国の神社も宮中に倣って遠皇祖の大元始(おおもとはじめ)を言寿ぎ奉るお祭りを斎行致します。
宮司は遠紋冠・白無紋小直衣・白差袴を着用して奉仕致します。
1月2日(水)午前7時、初日供祭を斎行し今年最初の日供神饌をお供えして、皇室や国家国民の安泰と、一年間の全ての祭礼神事が恙なくご奉仕出来るよう祈願致しました。
宮司は遠紋冠・白無紋小直衣・白差袴を着用して奉仕致します。
引き続き新年祈祷を執行致しました。
正月の三賀日は春秋の大祭と同様に、本殿の御扉さらには内陣の御扉を終日ご開扉して、恒例の祭典や新年祈祷を執行致します。
近年は氏子の老齢化と少子化が進み夜中の参拝者は少なくなりました。
日中は天候にも恵まれ、帰省した家族や親族を伴った氏子の方々が三々五々お参りになりました。
平成25年1月1日午前零時、歳旦祭を斎行致し新年を寿ぎ、皇室の弥栄と国家の繁栄、国民の安寧を祈願致しました。
総代会長・同副会長・氏子2名が昇殿して参列致しました。
宮司は繁紋冠・赤輪無紋小直衣・紅単・差袴を着用して奉仕致します。
謹賀新年 癸巳歳の新春を迎え、謹んで新年の賀詞を申し上げます。
気温は氷点下ですが例年に比べ積雪も少なく、穏やかな年明けとなりました。